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私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 7

7月31日(日)

夕暮れのノスタルジー

7月最後の太陽が西に傾き始めた。寮の屋上に上がって夕陽を眺めた。真夏の太陽とは言いながらパリの町を照らす太陽の光の何と弱々しいこと。だけど夕暮れ時の町が紅に染まる風景はこの上なく美しい。すぐ近くにあるパンテオンのドームも茜色に輝いている。夕暮れと言っても時刻はもう8時半。日本ならすっかり暗くなっている時刻だ、夏のパリは日が長い。

昨夜、オペラ座から帰ると日本から手紙が届いていた。付き合っているMからだった。実はパリに来る直前に私はMと婚約したのだ。婚約したばかりの二人が1カ月以上離れて過ごす。今なら遠距離恋愛も珍しくないだろうが、当時はそんな言葉すらなかった。

パリで受け取るMからの最初の手紙。当時は今と違ってメールでのやり取りなどない。テレビ電話もない。そのそも電話は高くてかけられない。唯一のやり取りが手紙だ。便箋には見慣れたMの文字が並んでいる。日本をあとにしてからまだ1週間もたっていないのに、ひと月以上も彼に会わないような気がする。距離のせいもあるのだろう。言葉も習慣も何もかもが違う国にいる心細さもあり、無性にMに会いたくなった。町に出れば楽しいことはいっぱいある。でも、なぜか男女の二人連ればかり目に入る。寂しさをひたすら我慢する毎日だった。手紙を読む私の目に涙があふれてきた。

いっしょに部屋にいたKさんがそれを見て聞いてきた。「どうしたの? 彼が恋しくなっちゃったの?」と。Kさんは羽田空港に見送りに来たMと顔を合わせている。「うん、彼と離れて過ごすにはパリの町は刺激が強すぎるみたい」私はそう答えた。

そんな私の気持ちもその後少しづつ落ち着き始めた。「せっかくパリに来たのに、寂しさに振り回されいつまでもこんな状態ではいけない」という思いが沸き起こってきたからだ。限られた滞在期間を無駄にはしたくなかった。そもそも、今回のパリ行きを決意した理由のひとつが、自分のそんな甘えを克服したかったからではないのか。私は徐々に寂しさを振り切れるようになっていった。

8月1日(月) 

ソルボンヌの授業が始まった

月が改まり8月になった。今頃の日本は暑い日が続いているだろう。パリは涼しくて、さわやかな毎日だ。同じ地球上でもこんなにも気候に差がでるものなのかと改めて思った。

今日からソルボンヌでの授業が始まる。朝8時に寮を出て、ちょっぴり肌寒さを感じながらカルチェランを歩いて大学の講堂に向かう。各クラスの担当講師がそれぞれのクラスの名簿を読み上げる。先日受けたテストの結果でクラスが分けられている。私は何と中級のクラスになっていた。あれだけボロボロだったのにびっくりした。Kさんは初級クラスだという。「えっ!」と思った。東大で仏文を専攻する彼女が初級?「私ぜんぜん勉強してないからね」彼女は笑いながらそう言った。

クラス発表にはかなりの時間がかかった。一人一人名前を読み上げるのだからそうだろう。暇だったので講堂の中を見回した。いろいろな国の人たちがいる。肌の色はまちまちで、話している言葉も様々だ。初めて耳にする言葉もある。年齢層もいろいろだ。だがここソルボンヌではみな学生という身分だ。

クラス発表が終わりに近づいたころ、私の後ろで聞き慣れた声がした。振り向くとNHKラジオでフランス語の講師をしている大学の先生だった。学生を引率して来ていたようだ。ラジオ講座を毎日聞いていたので面識がないのに何となく親近感を抱いてしまった。

クラスは11時に始まる。2時間ほど間があるのでリュクサンブール公園を散歩した。ソルボンヌに近いこの公園は市民の憩いの場となっており、ソルボンヌの学生もよく訪れる。私もその後何度も足を運ぶことになる。ヨーロッパの公園だけあって整備が行き届いている。日本の大規模公園が有するよそよそしさのないのが魅力的だ。噴水では澄んだ水が盛んにしぶきを上げ、色とりどりの花があちこちに咲き乱れている。憩いの場にふさわしい雰囲気だ。噴水のほとりのベンチに腰を下ろすと、柔らかい太陽の光が真上から降り注いでくる。ぽかぽかとして誰もが穏やかな気持ちになれそうなひとときだ。高層アパートに住むパリの人たちが暇さえあれば公園に来て日光浴を楽しむ気持ちがよくわかる。町の中にこんなにも快適な空間あることが羨ましい。

パリの住宅はアパート形式のものが多い。アパートというと当時の私は日本の木賃アパートを思い浮かべたが、パリのアパルトマンは格段に立派なつくりだ。しかし、冷たい石造りのものが多く太陽の光もそれほど入らない。住人は太陽の光を吸収するのが難しい。まして、パリの太陽は弱々しく、気まぐれで、いつ顔をみせるかわからない。太陽とともに戸外に飛び出すパリ市民にとって公園は格好の日光浴の場なのだろう。確かにパリにいると太陽が恋しくなる。隣のベンチの老婦人はさっきから居眠りをしている。私も思わずウトウトした。

11時に大学に戻り最初の授業を受けた。担当の先生はマダム・ラロッシュ。中年の女性だ。クラスの人数は15人ほどだが、そのうち日本人が私を含めて6人もいる。授業は日本で受ける語学の授業とあまり差がない。文法中心だ。あとで聞くとソルボンヌは文法を重視しているらしい。学生の様子を見ていると日本人以外はみな積極的だ。授業中も休み時間も喋りまくっているのはギリシャ人のリッツァ。イギリス人のロバートはとんちんかんな発言ばかりしている。スペイン人のエヴァは陽気で楽しい。そして、すごい美人だ。日本人はともすれば間違うことを恐れ、発言も消極的で、講師に質問されたら答えるという人が多いが、リッツァなどは間違っていてもお構いなく言いたいことを言っている。だから上達も早い。日本人は筆記試験の点数はかなり高いが、オーラルでは外国人の方が圧倒的に勝っている。日本の語学教育のあり方について考えてしまった。

授業が終わると午後1時を回っていた。昼食を食べにサンシェにある学生食堂に行くことにした。近いと思って歩いたのだが何と1時間近くかかってしまった。着いたときは疲れと空腹でよれよれだった。今日のメニューはマカロニのバター炒めと人参のサラダ、ゆで卵、チーズ、そして、デザートのピーチ。マカロニは3人分とも思えそうな量で、見栄えと味はいまひとつだが空腹を満たすには十分だ。

サント・シャペルとノートルダム大聖堂

授業のあとサント・シャペルとノートルダム大聖堂に行った。サント・シャペルのステンドグラスはずっと見たいと思っていた。予想以上に美しかった。一連の聖書の話が物語られている。天井から床まで一面に刻まれた色とりどりのステンドグラスには圧倒された、椅子に腰かけてしばし見入ってしまった。

サントシャペルのステンドグラス
出所:トラベルjp


ノートルダム大聖堂はパリに着いた翌日に訪れていたが、その際は団体だったので外観を少し見ただけだった、今日はまず大聖堂の上まで上がってみようと思い上り口を探したがなかなか見つからない。チケット売り場の男性に尋ねると「外に出て右」と日本語が返ってきた。思わずびっくり。日本人が多いからなのだろう。

言われた通り外に出て右に行くと石段の登り口があった。だがそこはすごい人だかり。登り口だけでなく石段にもぎっしり人が連なっている。石段は350段あるという。こんな中で列に並んでも登りきるのにどれだけ時間がかかるかわからない。今日は上からの眺めは諦めることにして内陣だけ見学して帰って来た。フランスでも観光地は人でいっぱいだ。

*ノートルダム大聖堂は2019年に大火災に見舞われ、尖塔など当時のものはかなり失われている。


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