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22 陰に目を向けて:体育館裏の桜の木

ある学校に赴任して3年目のことでした。体育館裏の焼却炉(当時は各学校に焼却炉がありました)にゴミを捨てに行ったとき、ふと体育館の脇に目をやると桜の木がきれいな花を咲かせていました。建物の陰になって表からは見えない場所です。体育館にさえぎられて陽もあまり当たりませんが、ピンクの可愛い花をいっぱいつけていました。わずかに当たる陽をあびてそれはそれはきれいでした。あまりのきれいさにしばし目を奪われました。たまたまそばで作業をされていた用務員(当時はそう呼ばれていました)のMさんに「あの桜きれいですね」と声をかけたところ、「毎年きれいに咲いてるよ。去年も咲いてたけど気がつかなかった?」と言われました。「あんな場所だから見る人はあまりいないけどね」とMさんは付け加えました。

Mさんのことばを聞いて私はハッとしました。そして自分がちょっと恥ずかしくなりました。赴任して3年目になるのにその桜のことを知らなかったからです。焼却炉にはたびたび足を運んでいました。でも桜には気づいていなかったのです。毎年きれいに咲いているというのに。「自分はいったい何を見ていたのだろう」と反省せずにはいられませんでした。そして人の目に触れない場所でも精一杯美しい花を咲かせている木がいじらしく思えました。

何かにつけて「目立つ」ことがもてはやされる時代です。人前に出て注目を集めることに精力が注がれ、周囲から称賛されると気分が良くなる人が多いようです。「受け」を狙うことが流行るのもその表れかもしれません。笑いを取って目立つことが心地よいという風潮も生まれています。その一方で誰からも注目されずとも黙々と行動し、立派に生きている人はたくさんいます。

生徒たちを見ていても目立つ生徒もいれば目立たない生徒もいます。目立つ生徒は時として「ヒーロー」になり、周囲から一目置かれます。もちろんそれだけの理由があって注目されるのであればそれはそれで素晴らしいことです。目立つことが悪いわけでもありません。でも、あまり良いことではない理由で目立ち、周りからちやほやされる場合も少なくありません。クラスの和を乱すことで目立ったり、いじめや嫌がらせの先導者として目立ったりということもあります。一方で、行事や部活動などで目立たないけれども一生懸命活動している生徒がたくさんいます。みんなが気づかないところで黙って仕事をしてくれている生徒です。でも、そんな生徒の中には「存在感の薄いやつ」としてばかにされたり、「いじり」の対象とされたりする人もいます。とても残念なことです。

紙にも裏と表があるように、あらゆるものに陽の部分と陰の部分があります。私たちは概して陽の部分に目を向けがちですが、教師は特に陰の部分に目を向けなくてはいけないと感じます。学校の中で目立たない存在に気づくことが大切であり、生徒たちにもそれを教える必要があると思います。社会に出てからもそういう人たちに目を向けられる人間に育てることが大切ではないでしょうか。体育館裏の桜がそれを教えてくれました。同時に、体育館裏の桜のように誰も目を向ける人がいなくても自分なりに美しい花を咲かせるような人になりたいと思いました。

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