【一人暮らし 無生物で暮らすということ】
人間は生き物だ 当然独りでは生きられない 若い時分は見栄を張り そう思える頃もあるかもしれないが 錯覚している
血が通っているかぎり周囲との関係性は必ずあり、それで孤独の埋め合わせをしている ただし良好な人間関係でなければ かえって孤独が増す場合もある
一人暮らしは立派だろうか
一人暮らしが自立への近道であると信じて疑わなかったが、いま思い返すとつらいだけだった とくにわたしは当時人間関係も希薄だったから 社会に出ても卒なく挨拶をかわす程度の間柄ばかりで、自立とはこんなにも侘しいものなのかと、幾度も挫けそうになった
無生物なのがまたいけなかった
誰もいない空室に帰ると、えもいわれぬ孤独が襲ってくる 忘れてしまうのだ 自分が血の通った生物であることを
生き物がほかに何もないと
生きている実感が湧いてこない
人でなくてもいい 犬や猫やほかの血の通った生き物がいることで孤独が存分に和らぐ 愛が得られるということでもあるだろう
そういうものを慾している自分に気づくという意味で一人暮らしは有意義だったのかもしれない
しかし自立のためというのはどうか
余程できた人間でないと 見られる意識がなくなり怠惰に陥って部屋が散らかったり、孤独でゆがみ、愛着障害、不安障害で極度に誰かに依存してしまい、離れづらくなって事件の引き金になってしまったりするのではないだろうか
つまり自立から遠退いている
人である以上、自分から血を抜くことはできない そうできると錯覚させるだけの怖さが一人暮らしにはある なんでも自分一人でできると思い込んでしまう傲りを自立と勘違いした人間のなんと多いことか
われわれは血を流しながら生きている
決して身に触れることのできないネット上ではその孤独の埋め合わせはできない 錯覚し、心が混乱するだけである