見出し画像

【掌編怪談】ナナと最後の一葉

 静香さんは、小児科病棟の看護師だ。
 総合病院の二階にあるその病棟には、ナナという名前の患者がいた。六歳の女の子で、免疫系の難病で長期入院している。
 ナナの個室の窓からは、中庭の楓の木が間近に見えた。
 晩秋、その楓が紅落し始めた頃。
 その日、夜勤だった静香さんは、夕方から出勤し、様子見でナナの部屋を訪ねた。
 ベッドで半身を起こしたナナは、窓越しに夕陽に染まる中庭の楓を眺めていた。楓はひらひらと紅葉を舞い散らしている。
「あの葉が全て落ちた時、ナナは死ぬの」
 とナナがぽつりと呟いた。ナナは自分の事をナナと名前で呼ぶ。
 最後の一葉だ、と静香さんは思った。
 ナナは自分のスマホを所持している。きっとネットで最後の一葉を知り、感化されたのだ。ナナは内気な子で、時折その様な不吉な発言をした。
 夜中になり、静香さんは巡視でナナの部屋に足を運んだ。
 ナナはベッドで就寝し、窓のカーテンが少し開いていた。
 その隙間から、何気なく窓の外を覗いた静香さんは、ぎょっとした。
 夜闇の中、中庭の薄暗い外灯に、楓の木が浮かんで見える。
 その幹から梢に茂る枝から枝へ、黒い猿の様な影が機敏に飛び回っていた。黒猿は枝々の紅葉を乱暴に次々と蹴散らしている。花吹雪の如く大量の紅葉が舞い落ち、樹下の地面には落ち葉の紅い絨毯が散り敷かれていた。
 あれは悪霊だ、と静香さんは直感した。不吉な話しは、不吉な者を招くという。
 あの黒猿は、ナナの最後の一葉の自己予言を成就させる為に顕現したのだ。
 すでに楓は大半の葉を落とされている。
 全ての葉を落とされたら、ナナが死ぬ!
 焦った静香さんは、咄嗟に窓を開け、白衣のポケットに手を入れた。いつもその中に携行している厄除けの御守りを取り出し、
「あっちへ行け!」
 と楓の木を跋扈する黒猿に投げ付けた。すると、ひとまず黒猿は消えた。だが御守り程度で完全に祓えたとは思えず、まだ恐らく霊障は継続している。
 さんざん黒猿が荒らし回った楓には、あと一枚しか紅葉が残っていない。
「どうしたの? 静香さん」
 背後で声がし、はっとベッドを振り返ると、今の騒ぎでナナが起きていた。
 その目の前で、最後の一葉が落ちた。
 その瞬間、ナナは死んだ。
 しかし、静香さんが一緒にいる、小児科のナナは無事だった。
 急死したのは、産婦人科の新生児室にいた、ナナという同名の赤子だった。
 我が子の急死の訃報を受け、その父親が自宅から深夜の病院に駆け付けた。産後の母親は入院中だった。取り乱した父親は、やれ病院の責任だ、やれ訴訟だと、病院中に怒鳴り声を響かせトラブルになった為に、産婦人科以外の職員達にもその情報が忽ち伝播した。勿論、静香さんにも。
 ナナという名前の新生児が、丁度、楓の最後の一葉が落ちた頃に急死した。
 それを知った静香は、ゾッとした。
「あの葉が全て落ちた時、ナナは死ぬ」という最後の一葉の予言は、奇しくも成就したのだ。ナナが自分の事を『私』ではなく『ナナ』と名前で呼んでいた事で、彼女と同名の『ナナ』までその対象に含まれたのだ。
 あの時、静香さんは黒猿に思わず「あっちへ行け!」と言った。そのせいで、同じ名前のナナからナナへ、最後の一葉の呪いが転移したのでは、と彼女は苦悩した。
 私は六歳のナナの命を救う代わりに、新生児のナナを殺したのではないか、と。
 それから一年、ナナはまだ入院している。
 時折不吉な事を呟いては、静香さんを困らせる。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集