【掌編怪談】唯の忘れ物、二題(1,300字)
唯は子供の頃から、忘れ物が多かった。
これは唯が小学4年生の時の話し。
その日の朝、唯が登校した後、専業主婦の母親は居間でテレビを見ていた。
家の間取りで、居間は玄関ホールの右手に位置し、玄関ホールには2階への階段があった。
その居間のドア越しに、突然玄関のドアが乱暴にバンっと開く音と、
「宿題のプリント忘れた!」
という唯の喚き声が聞こえ、次いでドタバタと玄関ホールの階段を駆け上がり、2階の自室に向かう足音が響いた。
また忘れ物か、と母親は嘆息した。家から学校まで徒歩5分と距離が近く、すぐ取りに戻れるのが救いだった。
ふと母親はテレビの時刻を注視した。
唯が登校したのが8時で、今は8時5分。丁度学校に到着する頃だ。
忘れ物に気付き、家に戻るには早過ぎる。
怪訝に思った母親は、居間を出て玄関を確認した。土間に帰ったはずの唯の靴がない。
2階の自室に急ぐと、やはり室内に姿はなく、机の上には宿題のプリントが置き放しだ。
奇怪な事態に、胸騒ぎがした母親は、机上のプリントを引っ掴み、家から学校までママチャリを飛ばした。小4の唯はまだ携帯を持っておらず、直接連絡は取れなかった。
校門の前は、片側1車線のT字路だ。横断歩道の信号が青に変わる。直交する赤信号の車道は、交通の切れ間で信号待ちの車両が1台もなく、空いた状態だ。
横断歩道を渡った母親は、折良く校門から出て来た唯と鉢合わせた。唯は今し方、教室でプリントを忘れた事に気付き、家まで走って戻る寸前だった。
唯は驚きの声を上げた。
「お、お母さん、なんでいるの⁉︎」
「なんでって……ほら、忘れ物!」
説明に困った母親が、取り敢えず唯にプリントを手渡した、その時。
まだ青信号が点っている横断歩道を、空いた車道の赤信号を無視したトラックが、爆音を上げて通過した。
幸い横断歩道は無人だったが、危うく渡り掛けた児童達が、その手前で立ち竦んでいた。
もし母親がプリントを届けず、慌てた唯が横断歩道に走り出ていたら、轢かれていたタイミングだった。
その事故を未然に防ぐ要因となった、母親が家で聞いた唯の声や足音の正体は謎である。
※
唯が高校1年生の時の話し。
彼女はゲーセンでUFOキャッチャーに挑戦し、ようやく5回目にして、狙った熊のぬいぐるみをアームで掴み、取り出し口に落とした。
やった! と達成感に浮かれる余り、取り出し口にぬいぐるみを忘れて、ゲーセンを出た。
しまった! と慌てて引き返したが、既にぬいぐるみは誰かに盗まれ、取り出し口は空っぽだった。
盗んだ相手を怨みながら家に帰った、その夜。
スマホに非通知の着信が入った。
出てみると、知らない女の子からだった。
「熊のぬいぐるみを忘れた唯さんですか? ごめんなさい、私がぬいぐるみを盗みました」女の子は泣きながら、唐突に謝った。「ぬいぐるみがずっと囁くんです。唯って名前と、この電話番号を……」
女の子の自白に、唯は驚きつつ、優しく言った。
「もう許すわ。そのぬいぐるみはあげるから、大事にしてね」
唯は静かに通話を切った。ぬいぐるみも、きっと黙っただろう。