おねとまつ
「おまっちゃん」
「ナァに。おねやん」
時は十六世紀の戦国時代。二人の女子は仲が良い。
とかく、人の相性は初見で決まるのが世の常。
(おね)
素朴ながら、色白の肌艶が良い。織田の足軽弓衆、浅野又右衛門の養女。今は足軽組頭に出世した木下藤吉郎の妻。
(まつ)
幼き頃、父を失い、母が再婚。そのため、叔母が嫁いだ前田家に預けられた。成長したまつは従兄弟の又左衛門こと、利家と相思相愛。二人は結ばれて、子育てに追われる。
それにこの二人、互いの夫も交えて、家族ぐるみの付き合いがある。
当時、藤吉郎は身分が低く、足軽長屋で花嫁のおねと筵の上で三々九度。
この時、利家とまつが媒酌人を務めて、ささやかながら、結婚祝いに酔いしれた。
なにより、おねとまつ。互いの夫は妻を労わり、奇しくも尻に敷かれる愛妻家にして、恐妻家。これがある意味、長続きする夫婦の秘訣……だったのかもしれない。
「おまっちゃん」
「ナァに。おねやん」
あれから、何十年経ったことだろう。
互いに呼び合う女二人。共に老いさらばえて、尼僧姿に早変わり。
おねの夫、木下藤吉郎改め、天下を統一した前の天下人、豊臣秀吉はすでに亡く。
まつの夫、前田利家も秀吉の後を追い、この世を去った。
二人は落飾。尼僧姿で秀吉が築いた摂津の大坂城(大阪府大阪市)で語らう。
「おまっちゃん、この先、どうなるがね」
「さて、どうなるがね」
「それを聞いとるがね。おまっちゃん」
「そんなこと聞かれても、分からんがね。おねやん」
かくも話題が広がらない二人が案じるのは今後の天下。秀吉亡き後、その遺児、秀頼はおねと血はつながらないが息子にあたる。しかし、幼い秀頼に政権を移譲できるわけもなく、まつの夫、利家亡き後、関東の大大名が補佐する。
(徳川家康)
二人の夫が仕えた戦国の覇王、織田信長の盟友にして、秀吉が生涯、勝てなかった敵であり、味方である。家康は京都の伏見城(京都市伏見区)で政務を執っている。
「おまっちゃん」
「ナァに、おねやん」
「……内府殿(家康)は天下を狙っとるがね」
「……アア。そうがね」
「おまっちゃん、何か、聞いとるがね」
「……ううん。倅から少し」
「アア……そうがね」
おねはまつの心中を察しているのか、それ以上は聞かなかった。それもそのはず、同時期。家康は天下獲りの野望を露わにする。
その布石として、スケープゴート(人身御供)の憂き目に遭う大名も少なからず。その筆頭が前田家。利家とまつの間にうまれた嫡男、前田利長は今、家康暗殺の嫌疑をかけられて、国元の加賀(石川県)を征伐するいくさ支度が始まっていた。
「おまっちゃん」
「ナァに、おねやん」
「内府殿に天下、預けてみようがね」
「えっ」
その途端、まつは調子を狂わされたように声が上ずり、目を泳がせる。かたや、おねは語り続ける。
「内府殿はしたたかな御仁よ。忘れておらんがね。おまっちゃんも。たしか、天正十二年のいくさ。太閤殿下(秀吉)と内府殿のいくさよ」
「アア、あん、いくさね」
と、まつは平静を装う。二人が思い出すあのいくさとは、秀吉が家康にボコボコにされたあの戦い。
(小牧・長久手の戦い)
秀吉の方が兵力で大差がついたにも関わらず、家康の奇襲に呆気なく、敗れた。
「太閤殿下(秀吉)はあん時、言うとったがね」
「なんと」
「家康は強すぎるがや……って。勝ち目はない。このまま、いくさが長引けば、天下獲りはおろか、乱世に逆戻りだぎゃ……ってね」
「そりゃ、太閤殿下の言いそうなことだがね」
「でしょ。さればこそ、内府殿を臣下に加えんと、妹の朝日殿。母上の大政所さまを内府殿の下に遣わしたわけだがね。ほんにあの人、お頭が回るがね」
と、おねはなんだか、嬉しそう。
「そら、太閤殿下らしいがね」
と、まつも同調。ニコリと笑う。
「おまっちゃん」
「ナァに、おねやん」
おねは無表情になり、姿勢を正して、まつに寄り添い、耳元で囁く。
「もう、豊臣は終いよ」
「え」
「あの人、一代で豊臣はええがね。されば、前田の御家も内府殿に与せばええがね」
「……おねやん。そうがね」
その数日後、まつは家康の本拠地、武蔵の江戸城(東京都千代田区)に参勤。加賀征伐を中止するため、まつは前田の御家を守るため、利長以下、家臣の反対を押し切り、自ら、スケープゴートを買って出た。
その頃、おねが暮らす大坂城の西の丸に小太りの白髪交じりの老将が訪れた。
「内府殿、よう来たがね」
「これはまんかかさま(おね)。ご尊顔を拝し、恐悦至極」
家康である。この日、おねは家康に西の丸を明け渡して、京都に移り住む。
「頼んだがね。天下を」
「承知いたしました」
おねの微笑に家康の冷笑。これが果たして、何を意味するのか。その後、家康は加賀征伐を中止、矛先を会津(福島県)の上杉景勝に変えて、大坂城から出陣。会津に入るその頃、秀吉の遺臣、石田三成が畿内で蜂起した。
家康は急ぎ、軍勢を引き返して、天下分け目の大いくさで大勝利。世にいう、
(関ヶ原の戦い)
その頃、おねは家康の勝利を喜び、その厚意で建立された京都の高台寺で「高台院」と名乗り、余生を過ごす。
おねはまつとの別れ際をふと、一人二役。即興の一人芝居を演じる。
「おまっちゃん」
「ナァに、おねやん」
「また会おうがね。おまっちゃん」
「うん。また会えるがね。おねやんも達者でね」
おねとまつ。二人の老婆が再会するのはまだ先のこと。なんせ、まつは江戸に参勤するどころか、徳川の人質。惟も偏に前田家を救うため「芳春院」と名乗り、家康の計らいでおねと同じく、悠々自適の余生を過ごしている。
かくも知られざる歴史の逸話。
権力を失った女二人がよもや、天下獲りを目指す家康の支援をしていた。そればかりはこの時代、表沙汰にならない。
なんせ、女は男の風下におかれて、かくも書物に記述されないのは実に皮肉なものである。
(了)