驚き家

「驚きからくる感動を届けたい」という人生の目標を掲げながら、私の価値観や日常をお届けし…

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「驚きからくる感動を届けたい」という人生の目標を掲げながら、私の価値観や日常をお届けします。 読んでいただいた皆さんと自分の考え方の違いや面白日常を楽しんでいただけたら嬉しいです。

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人と生きること

このエッセイは、私が今まで生きてきて考えてきた人と生きるために考えていることをまとめたものです。少し長いですが、トピックごとにまとまっているので、興味があるものから見ていただけると幸いです。読んでくださる皆さんと自分の価値観の違いを楽しんでいただけたらと思います。 人間関係について 信じることが人間関係において最も重要なことであると思う。「信じる」といってもただ相手の発言を信じていることだけではない。本音で話せることが相手を信じていることなのではないかと思う。けんかをする

    • 自分の思う普通

      「自分の常識は他人の非常識」という言葉があるように自分の普通は他人から見たら普通ではないことが多くあると思う。 その自分の普通以外のものを目の当たりにしたときに対処できるために何ができるのか。 普段から違う考えを持つ人と会話をする 自分がいる環境は多くの場合似たような思考を持つ人が集まることが多い。学校や職場などある程度同じ思考やバックグランドを持つ人たちが集まる環境にだけいると自分の普通が当たり前に受け入れられることが多い。 しかし趣味などのどのような思考でも楽しめるも

      • 能ある鷹は爪を隠す

        「能ある鷹は爪を隠す」これは私が好きな言葉である。 自分のやっていることをひけらかして自慢する人よりヌルっと人が驚くようなことをやっている人の方が魅力に感じるからである。 自分をすごいと見せる人より自分のレベルが当たり前に高い人の方が環境のレベルも高いと考える。 自分ってこんなすごいことを「しようとしてる」のでは思ってるだけでなにもしていないし、それが結果が出る途中でも結果が出ていないと意味がないのではないかと感じてしまう。これは完璧主義だからなのか?という疑問は出てくるが

        • 自分で選んでよかったこと

          私はどんなことでも自分のことは自分で決めてきた。 もちろん他者からのアドバイスは聞き入れたうえで考えるが、そのアドバイスが最終的な自分の決断になることはない。 特に自分で選んでよかったことは高校と大学である。進路先である。 同級生は親の意見や主張を踏まえたうえで進路を決定している人が多かったが私は100%自分の意志で選ぶことのできる環境にあった。 だからこそ自分で選んだ進路に対して結果を出そうという気持ちが強くあった。 自分が選んだ環境でその選択肢を正解にするために何事にも

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        人と生きること

          無自覚な努力

          私は自覚のある努力ができない。 しかし無自覚な努力はできるのである。 無自覚な努力とは「努力しよう!」と思って意識するのではなく周りから見た「努力」によってはじめて認識できるものを指している。 私は自分のことを「特別努力できない人間である」と評価している。 それは自分が「努力しよう」という思いで行動していないからである。 しかし他者からは私は努力できる人間であると認識されている。 この差はどこから生まれているのかと考える。 私の行動の源が「自分自身の興味関心」であることか

          無自覚な努力

          さあ始めよう

          私は興味があることに対してはすぐにはじめることができる (続けられるかは別として、、、) なにか興味が出てきたときにすぐにできそうなことから始めてみるのである。 なにか始めることで予想もしていなかった副産物が得られることが多い。 本来の目的をさらっと達成しつつ、また新たな出会いが見つかるのである。 もちろん自分が行動するときになんのための行動なのかということを考えるかもしれないが、行動が終わった時にはほかの多くのものを得ているはずである。 私は短期でもいいから1回だけでも

          さあ始めよう

          メイクと人生は似ている

          最近、メイクの勉強をし始めました。メイク屋さん(?)に行くと美容部員の方に話しかけられ、カウンターに移動して商品を試したりアドバイスをいただいたりします。そこではおすすめを聞いたり、自分に合ったものを選んでほしいがゆえに行くのですが、「どういう仕上がりにしたいですか?」「自分の理想は何ですか?」と聞かれ、そのゴールに向けてのアドバイスや商品の紹介がなされます。そこで私は思いました。 メイクって人生と似ている、、、!と。 今の時代男性もメイクをする方が増えているので、メイク

          メイクと人生は似ている

          「休日の過ごし方はなんですか」

          私は雑談や面接をしているときに「休日の過ごし方」を聞かれると返答に困る。趣味や好きなものを引き出しているための質問だと思うが、そうなると趣味や好きなものを答える必要がある。しかし、好きなもの=趣味(こと)ではないため返答に困るのである。そんな私が「休日の過ごし方」や趣味という話題から自分の時間の過ごし方について考えてみる。 趣味を見つけたい 私は今これといった趣味がない。私の周りの人はアニメやドラマ、アイドルなど様々な趣味を持っている。趣味は 休日の過ごし方がわかるため会

          「休日の過ごし方はなんですか」

          自信満々人間

          私は自他共に認める自信がある人間である。近頃までは自分が特別自信がある人間であるとは思っていなかった。しかし、他者と話していく中で自分が他者と比べて自信がある方であると感じた。他者と比べたいということではなく、他者からの視点で自分を見ることができるのである。友達には「その根拠のない自信が欲しい」と言われたこともある。自分では自覚がなかった一面についてこのエッセイで考えてみることにする。 自信の源 私はよく「強い」と言われる。精神的に強いという意味である。日常的に悩み事が常

          自信満々人間

          友達の存在

          友達とは? 自分にとっての友達は何か? 友達は家族でもないパートナーでもない不思議な関係であると私は思っている。同性の友達は、私からしたらパートナーになることはない。言い換えると遠すぎない存在かもしれないが、いちばん近くにいる存在になることもないということである。だが、人生の相談相手になってもらったり、逆に自分が相談を受けたり、楽しいことを共有したりと人生においてなくてはならない存在である。そんな不思議な存在である友達は自分にとってどのように影響されているのかを考えていく。

          友達の存在

          一人っ子って、、、

          はじめに 私は兄弟がいない一人っ子だが、それを他者に伝えると「寂しくない?」と聞かれることがある。そういわれて、私は一人っ子だったからこその体験や今の自分につながっていると思うことを書き留めていきたい。ここで私が話すことはすべての一人っ子が該当するということではなく、あくまで私の実体験から感じたり考えたりすることであることを念頭に置いたうえで読んでいただきたい。 一人っ子で寂しい? このエッセイを書くきっかけとなった質問だが、結論から言うと 「寂しいと思ったことはない」

          一人っ子って、、、

          全てを正解にする

          自分は目標や叶えたい将来の夢といわれる職業への憧れのものがないため、例え得た結果が元々の道と逸れていたとしてもそれを正解の道として進ん でいく。これは悪くいえば逃げに入っているのかもしれない。自分の本当の道から逸れていてもその道に戻ろうとする努力しないので、粘り強くないと思ったり、それが逃げているように感じる人もいるかもしれない。しかし、私は逸れた道を正解とすることは逃げではないと思う。違う道であっても、歩き続けているだけで逃げてはない。元々行きたかった道に縋り付かなかっただ

          全てを正解にする

          勉強する意味

          社会に出てから学生時代に勉強した内容はほぼ使わない。大学で学ぶ専門科目や国家試験を得るために必 要な勉強は社会に出ても活用できるかもしれない。しかし、自分の専門ではない分野や教養は正直、社会に出て仕事として使う気はしない。 ネットワークの構築 だが自分の専門でない分野や教養があることによって自分の人間関係のネットワークを増やすことができると思う。人は初めて会った人に対して共通の話題を見つけると話しやすくなる。自分の専門でないものの、知識があるとその分その専門の人と話した時

          勉強する意味

          初投稿

          はじめまして!驚き屋ですこのnoteを通じて私の考え方や価値観をほかの人と共有したり、私の日常を切り取ったり、私のnoteを通じてたくさんの方の価値観を知り、さらに自分ってどんな人間なんだろう?と呼んでくださる方が自分について知る機会になればよいなと思い、開設しました。 私の将来的なビジョン 私が人生を通してかなえたいことは 「多くの人に驚きからくる感動を届ける」ということです。 なのでアカウント名を「驚き屋」としました。 驚きから来る感動の反応は素の反応であるため、私の