北陸富山にて 幼い頃育った街の空気感と美味しいもの その2
1,富山城址公園にて様々な感慨
前回記事の続きである。
10月12日土曜日、この日から2日間の研修だ。
研修初日の前に、幼い頃、母親とよく訪れた富山城址公園を散歩した。
富山城址公園には、幼い頃、よく母親に連れてきてもらっていた記憶が残っている。
当時は、SLの大きな模型があり、子どもたちはその中に入って遊んでいた。
観光案内所で聴くと、今はSLの模型は、富山駅北口に移設されているという。
城址公園内を散歩していると、幼い頃に見ていた記憶のある、大きな銅像があった。
江戸時代初期にこの地を治め、参勤交代の折、配下の武士が腹痛を訴えた時に地元から持参した「反魂丹」で快癒させ、その後、それをきっかけに富山を売薬の街として発展させた、2代藩主の像・・だそうだ。
幼い頃にこの地に住んでいて、なぜか5歳の頃から歴史が好きで関連の本を読んでいた(今思えば本当に変な子だった)私だったが、この辺の経緯は知らなかった。しかし、富山が売薬産業を主幹産業ともいえる大切な産業としてきたことは知っていた。今は、薬の行商(配置薬業者)をする人はほとんどいないようだが、薬のメーカーなどは今もひしめいているという。
ちなみに富山県は「教育県」として名高いが、その根底には、江戸時代、薬の行商に行く人の子弟が多かった関係で、武士の子弟以外も、寺子屋で読み書きそろばんを習う比率が全国水準に比しても高かったからだという(行商人に読み書きそろばんの教養は必須だからね)
城の傍を流れる松川は、平素は遊覧船が運行し、都会にはない美しい時の流れを、風景を刻む。(幼い頃のかすかな記憶)ちなみに、宮本輝の小説「蛍川」にもこの辺りの風景が登場する。しかし、元日の地震でこの川も損壊し、現在は工事中らしい。
・・本当に自然災害は恐ろしい。
最近、能登を訪問した人の話を聞く機会があったが、「がれきの山、今も停電している地域、本当に、大地が動いたんだな、と感じた」とその人は言っていた。
まさかの時・・突然、自然が牙を剥いた時、我々は本当に無力だ。
(そして、今の被災地の現状にほとんど見向きもしない大手地上波メディア、海外ばかり支援する与党はいろいろな意味で怖いが・・ここはそういう趣旨の記事ではないのでこの辺にしておく。)
その後の研修は、後に研修を通して感じたことを一つの記事にしようと思うので、割愛するが、昼休みに、研修会場のビルに戻ったら、守衛さんが一緒に仕事している人に「休まれ!!」と声を掛けていた。
「休まれ」とは、富山の方言で「休んでいいよ」ということだ。
私は幼い頃に富山で過ごし、基本的な富山弁は聞きとりが出来るわけだが、そうした場面に出会うとなんか、体の底、記憶の底に沈んでいた懐かしさを想い出し、なんかほっこりした。
この日の研修は夕方で終わり、その足で総曲輪(そうがわ)という、富山市内のアーケードもある繁華街へ向かった。路面電車の乗車も考えたが、自分を甘やかさないために歩きとおした。(じがじさーんw)
2,懐かしの幼稚園
目的は、母校(というのか?)の幼稚園を観に行くためである。
時間たち過ぎているし、そもそもスクールバスで通研していた私にとって、歩いていくのはちょっとした冒険。
グーグル先生にご教示を願いながら、15分くらいで到着した。
(幼稚園そのものの写真はやめていくが、幼稚園は本願寺系で、浄土真宗の富山本部と同じ敷地にあるため、その写真を載せておく)
浄土真宗の開祖親鸞聖人の像などを見て、様々な記憶がすこしづつ蘇った。
R君という友達と友達といつも遊んでいた。
先生も、今、山の仕事やっているという先生は凄く優しかったが、1人、
「なんであんな人が幼児教育の現場にいたんだろうか?」と言う先生がいて、ある友達がその先生に虐められすぎて入院してしまった事とか、お泊り保育、スクールバスの中でのこと、大雪で急遽休園になったこと・・かすかながら記憶が掘り起こされた。いいことも、イヤなことも、人生最初の「集団生活」をした場所だから、原点はここ。いろんなことに感謝して、その場を感じた。ゆったりとした空気の流れる秋の富山だった・・。
ちなみに、私は年中の頃、先述したイヤな先生に反抗して、一時場面緘黙になっていて、幼稚園ではほぼしゃべらない時期がしばらくあったらしい。
担任が今、山の仕事をされているという、「人生最初の恩師」に変わると、後は、5歳にして、「ダジャレ王に俺はなる!!」的キャラに変わったわけで、ことほど幼い頃、周りの大人の影響と言うのは大きい。
そんなことを考えながら幼稚園を後にした。
いつか、また、観に来たい・・
余談だが、私はお笑いコンビ「ハイキングウォーキング」の松田洋昌さんと同じ幼稚園出身らしい。
自分の努力でつかみ取った事象ではないけど、なんか嬉しい(笑)
3,ブラックラーメンの感激
夜は老舗の名店・「西町大喜本店(にしちょうたいきほんてん)」にて、人生初のブラックラーメンを頂いた。
この日は歩き回ってかなり疲れていたが、いや、それでも旨いのなんの。
最初に店員さんからかき混ぜて食べるように言われたのでそうしたが、意図がわかってきた。
底の方まで叉焼が眠っていて、その下の方の叉焼を食べること、食感がコリコリとして美味しい。
幸せな気分だった。
この日は疲れていたので、ホテルに帰って、日付も変わる前には寝た。
4,雑感
しかし11日、12日の2日間を振り返って思うのは、都会の人は(地元の人でも)○○県は何もない、行く気もならん、・・とか言う、私の基準からすれば残念な決めつけをする人が多くいるけど。・。
都会にないものがたくさん詰まっているものが地方。
たまに行くと本当にそれを感じている。
まだまいろいろあるけど、後はその3で。