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幸せな感覚 2024
2024年は、この歳の瀬に振り替えると、2005年以降では最大に満足な年ではなかったかと思っている。
本当に、今、幸せを感じている。噛み締めている。
2005年と言うのは、その前年の末に、それまで住んでいた八王子での仕事と暮らしそのものを、メンタル疾患の再発によって失った時期だ。
その背景には私にとって「信頼していた人から裏切られたと感じた」できごとがあって、そのあと数年は人間不信状態だった。
実は今も、正直言うとその「後遺症」か、人を「完全に信頼しきっては、裏切りは、自分がそう感じたら裏切りだから」と、少し斜めに人を見る傾向があり、たぶん、「100%」と言う意味では、今も誰にも安心して心を許してはいない自分を自覚してはいる。(本来、人として悲しいことなのかもしれないが・・)
しかし、歳月とともに、人とそれなりに関わることもできるようになり、そこに至るまでの経緯は長くなるので省略するが、今年は久しぶりに首都圏での一人暮らしとなった。
もう、40代中盤である。
この歳で、まだ安定していない自分に情けなさも感じるのだが、こうなった以上、田舎にいる親が目の黒いうちに少しでも安心するよう、そしてこれからの後半生を自分自身、実りあるものとするために、自分の生きるべき道を探していかなければならない。
人によっては、「その歳になったら、親の介護の事だけ考えて傍にいなきゃいけないんだぞ」と、上からな感じで説教してくる人もいた。私も、車が「フツウ」に動かせれば、田舎にいたかった気持ちもある。しかし、現実、そうではないし、親も、チャンスの少ない田舎でずっと介護の事ばかり考えて暮らして欲しいとは思っていないようだ。
回りくどくなってきた、今の気持ちと現状を述べよう。
今、遂に私は、「自分の道、やりたいこと、生きる道」を見つけつつある、今年になって見えてきた道だ。
「できること」でもあるが、それ以上に「やりたいこと」だ。
それは、「文章を発信して社会に発信と貢献をしていき、生活にも結び付けていくこと」だ。
私の他のSNSでの発信を見て、「うちのHPで書いて欲しい」と旧知であった方から依頼が来て、有償で書いている。
つまりは、「一緒に仕事したい」と見込まれた、と言うわけで、今まで、雑な言い方をすれば「人のお世話になりっぱなし」だった私にとって、素晴らしい喜びだった。
記事作成に役立てるためにも、今、私は、地域の会合や名所などにアンテナを今まで以上に張っている。
その感覚がまた嬉しい。
20代で八王子にいた頃、知的障害者福祉の仕事に携わっていた。
ヘルパーなどで、私がボランティアに入った先で会った利用者が、よく私を気に入って指名してくれた。
私を好いて指名してくれることが、純粋に嬉しかったことを今でも覚えている。彼らの事は、生涯忘れない。
感覚的には、あの頃に似ている。
人に必要とされ、それで多くはないけど報酬も頂きながら、やりがいを得ていられる。
また、こんな感覚が味わえるとは。
生きていてよかった。
人生を諦めないで良かった。
今、同じような内容で、新しいところにも一緒にチャレンジしよう、と誘ってくれる人もいる。
無理はしないように、一歩一歩進んで、2025年暮れにはさらに、夢の実現と、定期収入も安定していたい。
2024年、もちろん波はあったけど、本当に、夢がはっきりと見えて、形にもなってきて、幸せだった。