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「タコ足大学」

今回は「新しく知ったこと」への忘備録的な記事で、私的に緊急特集的な内容、つまりは私的に「自己マン」になりそうだし、スキを押してくれる人も本当に少ないだろう、と思っている記事である。でも、なぜか無性に書きたいから書く。そんな記事だ。

昨日、青春の数年間を過ごした八王子へ行ってきた。

この八王子行き自体に関しては、後日じっくり万感の思いを込めて、懐かしの土地へ、2024年晩秋、また行けた・・という感慨を込めて書こうと思っている。

今日に関しては、本題は昨日の八王子駅前で、夜、多摩地区某所から来てくれた旧友と飲んで、そこで出たワードだ。

その人は地方の国立大学出身、ということは昔から知っていたが、「〇さんは大学本部のある町にずっといたんですか?」と聞くと、「いや、2年生からは別の~市。」そして「うちの大学は、タコ足大学だから」・・・

初めて聞いた、「タコ足大学」という単語。

何となく、意味は理解できた。

私の場合は、母校である静岡の私立高校は、別に進学校でもなかったし、そもそも私自身は一番、勉強のできないコースに在学していたので、「学園外の4年制大学に合格したら勝ち組」扱いと言う環境だった。

だから、国立大学でのいい方だろうな、とは思ったが、恥ずかしながら40代中盤になるまでこの言葉を知らなかった。

今日、正式に検索した。

予想通り、「国立大学で、キャンパスが県内に点在しており、1年生時は本校で学ぶが、2年生以降は各学部のキャンパスに散らばる」大学を指すらしい。(1年生時から文系学部と理系学部ではっきりキャンパスが分かれている大学もあるようだ)

あくまで国立大学限定の言い方らしい。

ちなみに学生同士の学部を超えた交友、これは私の世代の感覚だと「大学生の本分」みたいなものだが、(人により異論はあるだろうが)タコ足大学、特に昨日飲んでいた旧友の出身大学などの県土が広いところの「駅弁大学」(駅弁のように各県にひとつはある国立大学、と言う意味らしい)や、私が縁深いところだと静岡大学や山形大学が「タコ足大学」として世間から定義されているようだが、確かに機会が学部ごとに限定されたり、1年時は全学部でやっていても2年生以降は頻回な往復が難しかったり・・という厳しさはありそうだ。

旧友の出身大学の場合、文系学生も2年生以降は1年生時とは違う土地になる=県土が広いため、それは引っ越しを意味するが、単位落としてまだ「本校に忘れ物を取りに行く」必要がある場合、100キロとか離れた土地から本校に通う必要も生じるため、結構ハードになるリスクがあるようだ。

それを自分の実家がある岩手に置き換えてみた。

知っている人しか分からないが、「岩手大学」は「タコ足大学」ではない。

盛岡市の中心部近くに、ほとんどの学生が同じキャンパスで過ごしている。

だから、私自身が秋田の小規模な私大でそうであったように、「マンモス大学でない、でもそこそこ暮らしやすい落ち着いた」キャンパスライフを送れている学生は今も昔も多いと思う。(もちろん人によるだろう、大学生のライフストーリーなど、本当に人それぞれだからね)

しかし、学部によって、例えば農学部が名門だが、2年生からは青森に近い山奥の、一戸や二戸というヘブライ語の伝承も伝わる土地になり、そこから1年時に単位を落とし、週1-2回、「いわて銀河鉄道」で片道2時間かけて盛岡の本校へ行かなければならない、とかになったら・・当然、盛岡に行く日は本来のキャンパスでの講義は入れられないだろうし、となると卒業及び就活にも響く。これは、・・由々しき事態!!になるだろう。

なんで私がここまで想像力が働いているのかと言うと、実際の自分の大学時代を振り返るに、「この条件だったら間違いなくそういう苦境に立たされていただろうな・・」と思うからだ。(笑)

ただし、「タコ足大学」には、良きところもあると思う。

1年生時と2年以降で、地理的に離れている=文化などが異なる地域に住めば、自ずとその人その人の価値観は広くなるだろう。

地方だと、どの土地にも住みよさ、住みにくさはあって、よそから移住した人間には、私自身が様々な土地でそうだったように、「地元の人にはみえない、その土地の特色」がよく見える。それは、その人の人生にとって、間違いなく肥やしとなる。私の経験上これは言える。

東北で言えば、山形大学が工学部が米沢市、農学部が鶴岡市と、つまりは文系学部と医学部が県都山形市で、理系学部は県内の中でも地方都市にある(農学部は国内有数のコメどころ・庄内地方の肥沃な農地での実習、というのもあるんだろうね)のだが、米沢も鶴岡も行ったことあるけど、「ここは、そういう土地だ」と腹を括れば、変な言い方だが過度な刺激もないし、食べ物は最高だし、絶対住みやすそうだ。私の場合、歴史がとにかく好きなので、上杉の城下町である米沢や酒井の城下町であり、藤沢周平文学の里である鶴岡も、実際秋田で楽しく過ごせた経験から言えば、「いい思い出になるだろう、いい仲間たくさん作れば」と言う感じだろう。

ただし、どこに住んでも地方都市というのは、「その土地独特の、暗黙の了解」がでーん!!と存在しており、また、車を動かせない人には住みにくい、これは「暗黙の了解以前」と言う感じだ。

私のように、多少、「同調圧力」に不満を持っても、人とのつながりで楽しく生活をクリエイトし、その場所で楽しみを見つけられて、その土地の事を知る努力を出来る(自分で言うのもおかしいが)人間には、タコ足大学で様々な街を経験したりする環境は、あっているかもしれない。

そんなことを40代中盤にになり、ふと思った。




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