「恋をすると、人はアホになる」
最近、あるドラマで聞いたセリフがこれ。
私は、一言でいうと、「人類の真理」だと思った。
私は、モテない。
45歳だが、独身で、今まで付き合った人数はひとケタである。
なんせ中高では「遅刻の帝王」の名を欲しいままにし、長じては「失恋の帝王」の名をほしいままにしてきた。(どちらも本当は欲しくはない・・)
20代の頃。
当時私が関わっていた法人には、大学生のボランティアや介助スタッフがかなり戦力になっていたが、私がお気に入りの人にメールアドレスを尋ねたら「最近、メールの調子が悪くて・・」という、意味不明なフラれ方をしたことがある。かなり伝説的なフラれ方と言っていいと思うが、それほど木っ端みじんにフラれれば一般の人なら気持ちいいだろう。しかし、私の場合はそれの繰り返しだった。
恋に臆病になって、「今は、現実を見なければならない」という世間一般の「正論」を振りかざし、「恋することを考える」ことからすら自分で壁を作ったうえで逃げていた時期も長かったように思う。
そんな私にも何回か女性と付き合ったり、いろんな女性と悶着起こしたりと、まあ45歳なので、「人並みには」なかったけど、少しはあった。
自己分析をするに、私の場合、先輩から言われたが「好きな人が出来ると一直線すぎる」と言われたが、正直言って女性に対してだけでなく、私の思考回路はかなり「猪突猛進」タイプなので、今、そこを修正するトレーニングにも通っているが、取り分け、「恋愛」という事象には、そこが出ていたような気がする。
若い頃・・はい、怒る人もいるかもしれないが、当時、「カノジョ」がいる状態で、別の女性にぞっこんになってしまって、今考えると、自分でも、「自分がされたら引くだろうな」というくらいゴリゴリいってしまい、もちろん当時のカノジョや多くの周囲の人に迷惑をかけてしまった事がある。
30過ぎてからはしばらく「自分はメンタル疾患者。女性と付き合おうなんて思っちゃいけない。それより早く都会に出て仕事するための事、それだけを考えるべきだ」と、無理やり極まりないような思考回路で自分を守っていた。
ところが30代後半にまた「燃えた」。
最終的に迎えた結末は、形式的には無残な事だった。
でも、その時の経験は、実は今、良かったと思っている。
何故なら、まず、無理やり自分を守っていた「正論」は、人間の感情の前には全くの無力であると分かったからだ。
ここが私の猪突猛進なところだが、「この恋を成就させることができるなら、後の人生など狂っても、どうなっても良い」と本気で思っていた。
あの若い頃の何度か燃え上がった時も、同じような感覚があった。
いつの間にか、「正論がもたらしてくれる安心の世界」の中で安住して、そこの中にしか世の中の真理がない、ような感覚に陥っていた。
それはあっさりと崩れ去った。
いわば「砂上の楼閣」のような、儚いものであったのだ。
がちっと、仕事人間で、「それだけが人間の基本」と言う人も多く知っているが、私は自分の経験も踏まえ、「燃えるような恋で、冷静さを失うような経験を何度かしたことがないと、本当に強く、人の痛みが分かる人間にはなれない」ように今は思っている。(ただし、一線を越えるような過ちはもちろんダメだが)
・・と、昨夜の「無能の鷹」というドラマをTVerで見て、そこまで深く考えた。
生活基盤が安定しないから、今は結婚とかあまり考えられないけど、やはりね・・
人の権利として・・
燃えるような恋をまた、したい。
今度自分がそれを感じて、そこに、その先にどんな自分像が見えるのかも、見てみたい。