お金は必要か?
お金は必要か?
普通の一般的な庶民の家庭に生まれて育ち、あまりトラブルもない思春期を過ごし、「横断歩道 みんなで渡れば、怖くない!」的な生き方の人は、他と同じ様に貯金や蓄えが有り、「当然」という答えでしょう。
しかしながら、上記の様な方でも「人間関係」に失敗したり、「ハラスメント」や「イジメ」を経験したり、「LGBTQ」が原因で生きづらさの為に「ニート」「アルバイター」でかろうじて食い繋いで、日々を過ごしている人もいます。
私は以前、中小企業ですが、株式会社の代表として多くの有名一部上場企業と取引がありましたが、その様な立場になれたのは子供の時から、自分の生き方を決めていたからだと思います。
その時の経験値で書いたのが、当ブログ記事の【青い時こそ学ぶ力が出る】です。
また、会社をリタイアし、ブログ関連からの収入を得た時に感じた想いを文字したのが【ブログは個人で出来る仕事です】です。・・・どちらも以前に書いた記事ですが、未だGoogle検索1位でした。
お金は必要か?
今でも忘れません。
私はバリバリの昭和世代オジサンですから「他人と違う」思考や家庭環境(小学生頃はバリバリの御ぼちゃま君でした。)や「目立つ」ことは即、「イジメ」に繋がり「村八分」が待っていました。
幸い、私はすこぶる強靭な精神力と腕力の持ち主で「イジメ」や「村八分」を気にすることも無く成人しましたが、「知人」はいても「親友」と呼べる人は幼い時で、引っ越す前にいた男子独りで、今、爺さんの私は友人とよがいません。
ですから、「お金」がなければ只の【浮浪者】です。欲しいモノも身だしなみも「信用」も「お金」で手に入れるしか方法がありません。
しかし、「お金」が媒介することは、孤独を引き寄せます。生き方に常に「お金」が媒介することは、どこまでも人との関係性は「客」と「店員」です。また、ポジションや年齢的にも「支払い」は私が受け持つスタンスとなり、「感謝」される立場になります。
友人関係ならば、相談や愚痴やボヤキなど、人を媒介することは、ヒトの繋がりを広げます。人生に「お金」は必要ですが老人には必要以上の額は意味がありません。
つまり、「お金」で友人や親友を得ることはできません。
人生の先が見えるようになると、最も大切なモノが見えてきます。
「お金」は程々にあれば、人生はしあわせだと思います。
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