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PLCの変遷の行き先

僕が大学を卒業し、社会人になった、1985年には、まだ、PLCという言葉は無かったと思う。
業界的には、シーケンサーと呼ばれていたはずだ。
それも、まだ、リレー制御が主流で、シーケンサー制御に切替わる、真っただ中の時期に僕は就職した。
それも、当時、業界をリードしていた、安川電機の関係に就職したものだから、いち早く、シーケンサーのプログラミングが身に付けられ、その後に大いに役に立った。
PLCどころか、PTなどは、まだ登場すらしていなかった時代だ、サーボはDCサーボで、インバータもめったに見るこなど無かった。
操作盤はものすごく巨大で、大量のスイッチや表示灯が設置されていた。
僕が就職して一年目に、ハード的な、スイッチや表示灯では、急激に複雑になった設備に対応できなくなってきていて、当時普及し始めていた、PCにより、データ設定、モニタリングを行うということになり、僕が、当時一強だった、NECのPC98と安川のメモコンをRS232Cで接続しGUIを作りました。
OSは、MS-DOS、言語はN88-BASICという構成です。懐かしいですね。
そんな、今なら、PTでも、PCでも、ちょちょいと出来るものが、当時は数百万かかっていました。
その後、急速に、オムロンや三菱が力をつけてきて、三菱は、KシリーズからAシリーズにそしてQシリーズと移り変わり今ではRシリーズです。
安川は、メモコンからGLに変わっていき、今では、GLも絶版となっています。そしていつしかPLCと呼び方が主流になり、PCもOSが、Windowsになり、DCサーボACサーボに変わり、位置決め精度も飛躍的に上がっていきました。
GUIも、デジタルがタッチパネルをリリースし、がらっとGUIの環境が変わりました。
使用するプログラム言語もN88-BASICから、CやC++になり、VBが出て、今は、とりあえずVB.Netで落ち着いています。
そして、リリース当初は、多重伝送と言っていた省配線システムユニワイヤが出て、配線工数も少なくなり、それに続き、オムロンでDeviceNet 、三菱ではCC-Linkが出てその後さらに駆動系のリンクが、三菱から、SSC-Net、安川から、メカトロリンクなどがリリースされ、どんどん、省配線の上、使い易いように移り変わっていき、そして、昨今通信は、Ethernetになり、大量なデータの設定、収集が可能になっています。
そんな流れがあり、ベッコフのEtherCATは、さらに使い易く高速で長距離伝送が可能なフィールドネットワークでありそのEtherCATの親玉である
# TwinCAT 3 PLCは、PCのプログラムと相性も良く、複雑化した現在のシステムが要求する機能を凝縮した究極のPLCで、今の時代にマッチしていると考え、♯ 有限会社JHSとしては、次世代PLCとして、お勧めしています。


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