世界激走 オーストラリア編5
そして今度は、シドニーに向け、ひたすら南下するも、この道には、跳ね飛ばされた牛やカンガルーの腐敗した死体はない。
あれだけ、あの光景と、匂いが嫌だったが、すでにそれすら、懐かしい、凄く一生懸命アクセルを踏んだその足の感覚が、今は物足りない。
砂漠の真直ぐな舗装された道では、ほぼ、べた踏みで、常時150キロ以上で走っていたが、東海岸ではそうはいかない、せいぜい130キロぐらいがいいとこだ。
そして、1か月ぶりにシドニーに戻ってきたが、何か、1ヶ月前に、シドニーに降り立った時とは、何かが違っていた、それが何かは、直ぐには分からなかったが、この後、社会人として働くようになってから、分かることになった。
しかしながら、その時は、さして気にも留めず、シドニーは、まだ何も見ていなかったので、シドニーといえば、オペラハウスなので、真っ先にオペラハウスに行くことにした。
本当は、物凄く、中で演目を見たかったのだが、金欠の僕たちにそんなことが出来るわけもなく、でも、中には入ってみたかったので、ガイドツアーに参加し、中を見て回った。シドニー湾に少し突き出る形で建てられているオ
ペラハウスは、外から見て、船の舳先模したその特徴的な形が、海に映え、とても印象的で素敵だが、中のホールも、負けず劣らず素敵だった。
いつかちゃんと座席に座って、オペラを見たいと強く思った。
ツアーが終わって、外に出ると、いい匂いが漂ってきていた、ちょっと先に、食べるものを売っている屋台があり、よく見ると、売っているのは、ライスとちょっとした肉料理が入ってるお弁当だった。
どうにも我慢できずに買った。
たぶん、米は、インディカ米だったと思うが、とにかくおいしく感じた。
その後は、シドニーの真ん中にある公園の芝生の上で、翌日帰国なので、荷物を広げ、点検をしていた。
僕は、海パンを失くしたが、Tは、靴を失くして、づっと、べーちサンダルを履いていたのだが、その鼻緒が切れるが、金欠で買えないので、ストローでそれを補修して履き続けている。
Tも僕もそんな状態だから、お土産なんかほとんど買って泣く、むしろ来た時より、荷物が減っているくらいだった。
そして、その夜は、当時、南半球一の繁華街と言われているキングスクロスに行ってみたが、どこが、という感じで、これなら、日本の町のゲーセンの方が、よほど活気があるような所だった、ただ、プラプラしていると、急に倒れて、痙攣しだす人がいて、薬中ぽくて、さすがに、それは日本では無いことだと思った。
最後の最後までトラブル続き
さらにプラプラしていると、ライブハウスがあり、1時間程、軽くビールを飲み、ライブを見てから、車に戻ると、車のカギが壊されていて、車の中に置いてあったTのカバンが盗まれていた。
これが、帰りのフライトの前日の事
Tのカバンの中には、彼のパスポートと、二人の航空券が入っていた、さあ大変だ、だが、もう夜中だし、出来ることは何もない。
翌朝一番に、シドニーの日本領事館に行った。
パースの時もそうだが、この時も、何故か、ちゃんと日本領事館に行けてしまう。
僕たちは、貧乏旅行で、今日の便で帰らないと、お金ももうほとんどないし、車も今日で返さないといけないので、ホームレスのようになってしまう。
なんとか帰れないでしょうかと、拝み倒した。
領事館の人は、いろいろ対応してくれて、とりあえず、航空券は再発行してくれることになった。
ただ、パスポートは、直ぐにどうなるかは分からないが、やれることはやってみると言ってくれて、とりあえず、シンガポール航空の事務所に行って、再発行の航空券を受け取ってくれと言われたので、シンガポール航空の事務所に向かった。
これもまた、すうっと事務所に着いてしまう。
今こうして書いていて、不思議だと思った。
再発行の手続きをしていると、領事館から、シンガポール航空の事務所に連絡が入って、パスポートが見つかったとのことだった。
さっきまで、お先真っ暗な感じだったTの顔が、一気に明るくなった、何はともあれよかった。
領事館に戻ると、Tのカバンは、込み箱に捨ててあったらしい。
そりゃそうだ、金目のものは何もない、確かにゴミ同然のカバンだ、盗んで直ぐに捨てられたようだ。
でも、それで助かった。
僕も、T一人残して、自分だけ帰国するのは、心苦しかったので、本当に良かった。
ただ、3台目のファミリアも無傷で返すことは出来なくなった、流石にちょっとヤバいだろうと思って、車を返すときはビクビクした。
返却時に聞いたところでは、ナラボー砂漠で壊した車は、そのまま、そこで放置しているみたいだったし、シドニーで借りた車をナラボー砂漠で壊し、パースで借りた車のガソリンタンクに穴を明け、タウンズビルで借りた車でシドニーに戻ってきて、その車も鍵が怖されている。
どんだけ損害を掛けるんだという感じだが、一切の追加請求もなく、エイビスにも、本当に感謝である。
ブラックリストに載ったのではないかと思っていて、もう、次には、レンタル拒否されるかと思っていたが、後に、またエイビスで車を借ることが出来たので、大丈夫だったみたいだ。
空港に着いた、僕たちの姿は、それはみすぼらしく、さらに、Tは蚊に刺されたところをかきむしっていて、肌が露出ている部分が、皮膚病のように、かなりひどい状態で、飛行機に乗り込んでみると、飛行機は、ほぼ満席なのに、3人掛けのシートは、僕ら二人しか座っていなかった。
おそらく、Tが病気だと思われて、他の人を不愉快にさせないために、僕たちの近くに他の人を座らせなかったんだと思う。
帰りの便も、シンガポール航空乗り継ぎで、次の日の便なので、また、シンガポール空港で、野宿だ。
で、本当にお金が無く、既にお札は持っていなくて、ジャリ銭しか無くそれも、全部合わせても、数オーストラリアドルしかない。
その日のこはんが食べれないのはもちろん、成田からの帰りのお金すらないことに気付いた。
どうやって帰ればいいんだ。
やむなく、友達に連絡して、成田まで羽化得に来てもらおうと思ったが、シンガポールから、オーストラリアドルの小銭で電話できるのだろうか?
今となっては、どうやってかけたかさっぱり分からないが、とにかく繋がり、成田まで迎えに来てもらえることになった。
最後の最後まで、トラブル続きだった。
結局、機内食にありつくまで、何も食べられなかったので、これまた、機内食が美味しかった。
成田に着くと友達が、到着出口まで来てくれていたのだが、僕たちのことを見るなり、腹を抱えて大笑いしていた。
まあ、僕たちは、二人とも浮浪者みたいだったので、それも仕方ないかなと思った。
Tは、ほとんど荷物を持っていなくて、壊れたビーサンを履いている。
僕は、靴は履いているものの、持っている荷物は、背負子に、段ボールと寝袋を括りつけた状態、およそ、海外から帰ってくる風体ではない。
まあ、とにかく無事に日本に帰ってきた。
そして、少しづつではあるが、変わりつつある自分に気が付き始めていた。
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