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勉強や教育の話。評定平均高くても私は味噌っかす。

 こんばんは、ナシロです。
 ネットフレンドと会話しているときに、そういえば、私は高校生の頃は、5段階中、評定平均が4.3だったことを思い出した。なお、学校は偏差値高くないです。今はバリバリの進学校らしいです。ビビる……。
 そんな私は内申点を取ることだけにはたけていたので、あとは推薦入試で行けるように小論文の練習ばかりしてました。おかげ様で内申点の取り方はわかるが、入試関係は味噌っかすが出来上がりました。
 入試関係が味噌っかすの私は、塾の集団授業の時にハイレベルなところばかり推薦されてモロに脱落しました。なんであんなに頭いいクラスに推薦するの?馬鹿なの?アホなの?
 ついでに、内申点を上げる方法なんて、テストでいい点数とって、宿題提出して出席率もそれなりにあれば平気なんだから、入試用のテストよりは簡単だってわかるだろ、常識的に考えて。
 あとは学校の宿題だって、ぎりぎりの期限までやらなかったし、なんなら友達のやつ見させてもらったり、そもそも宿題の存在すら忘れて、当日になって急いでやってたアホ。内職と称して授業時間に他の作業していた。それでも、宿題関係終わらせて、眠い眠いと言いながら授業受けてきた。アホの子はアホなりにやってた。んで、テストの点数は85点以上をキープする。ダメな時は赤点ぎりぎりだったけども、そういう時は提出物でカバー。それから授業態度と、中間テストだったら期末テストで一気に逆転させたりとか色々していた。
 そんな私でした。
 今思うと、よくそれで綱渡りしたなと思う。なお、第一志望の国公立は落ちました。やっぱりね、集団面接苦手。というか、塾が提示してきた学校のほとんどが第一志望で狙うレベルのところばかりだったので、私は滑り止めで受けたところが受かった段階で、他を放棄したタイプ。センター試験も受けないで、大学から出された課題をやっていた。なお、武士道の本を読んでいてもミリも理解できなくて、最終的に教育の話につなげてつらつらと感想文を書いて提出した。なお、大学側からは、最後の文章だけで書くな、もっと中心部分で書け、みたいな評価を貰ったが、とりあえずはOKだった。あとは、英語も上のクラスにいたけども、大学入試レベルには程遠かったので、大学で出された課題をひたすらやってた。その上で英語のクラスを決めるためのテストを受けて、一番上を獲得した。なんじゃそりゃ。
 なお、その課題を必死にやった証を英語の授業の時に、教授から貰ったんだが、当時の私は授業中に寝るし、宿題もほぼ放棄する堕落した学生だったので、教授からめっちゃビビられた。すまんな、きちんとやったんです!と心の中で思った。
 ちなみに、小論文の授業は中学三年生から高校三年まで続けて、ハイレベルなクラスに行くために、塾内のテストを受けて合格して上にいった。でも、待ってくれ。私は普通レベルでよかったのに、先生やスタッフさんが上に行くのよ、とか言うてきたんや。勘弁しろ。
 なお、ハイレベルの小論文の授業の担当の先生はとても奇抜な格好をしていて、いまだに脳裏に残っている。学校のことをしてて遅刻して、途中で授業に参加したんだけども、マイクを持った頭に髪の毛がほとんどない眼鏡をかけたおじさんが、ピンクの毛糸のベストをきて、だるだるのズボンに、サンダルはいて何か言ってた。この世の地獄を見た。笑う笑わない以前の問題で、この人が一番小論文が上手いってマジ??と思った。
 なお先生曰く「自分は文章以外はまるでダメだが、文章に関しては自信がある」とか言うてたのは、マジだった。
 そもそも論、私が授業内で小論文を書いたやつを講評してくれるのだが、それは、もう、あの人が講評したんか?!と思うくらい適切だし、めっちゃ叱られるときは講評でボロクソに書かれた。なお、つらいのが生徒たち同士でも回し読みして、講評という名の質問や改善点を書いて、ディスカッションするやつ。何度も欠席した。何が悲しくて、自分が書いた小論文を先生以外に色々言われなきゃあかんのか、と思ったし、他の人が書いた小論文はどれも素晴らしいものばかりで、どこに改善点があるのかわからなかった。
 慶応義塾大学や早稲田大学、といった頭のいいところの過去問が出されて、それをひたすら制限時間内に1000文字で書いていく作業。何を書いたらいいのかわからないし、大学名ばかり詳しくなるし、ほとんど病んでた。でも、受験ってそんなもんなのかもしれない。
 「~と思う」と書いただけで、それに関してとにかく赤ペンで修正される。常に断定で書けと言われて、断定で書くから、理由も具体例もしっかりしたもので書かないといけないという圧迫感。結局、自分はFランの大学に行ったのだけども、そこの授業はまあまあ楽しかった。国公立に行っても、たぶん嫌になったと思う。周りがハイレベルすぎていて、授業にもついていけなかったと思う。これが負け犬の遠吠えと思われても仕方ないが、実際問題、内申点だけで生きてきた人間は、入試レベルの問題が解けるくらいにならないといけないのはマジなのだ。とどのつまり、何がいいたいかというと、私は集団授業でわけのわからないハイレベルのクラスにいるよりかは、個別指導で自分のレベルにあった授業を受けた方が得だった。
 なお、塾は入門とか言っていたレベルにさえついていけなくて、居残りなんてあたり前だった。今でも覚えている鬼のように単語を覚える授業。黒板に継続とかでかでかとポスターが貼られて、テストの点数が悪い中、お腹がすいたり、お腹が痛くなったりして、さっさと帰りたくなったあの日を。
 その塾が素晴らしいと思い込んで、インターンで入った後に、私の発達障害が見事に発揮されて、怒鳴られ、泣きながら仕事をしたことを。それで、やめたいと言ったらインターンは一年は継続するものだとこんこんと先輩から言われて、半ば鬱状態になって、それでもやめたいからと伝えたら、先輩が空いている日に面談する予定になった。なのにもかかわらず、急用ができたから、と予定を先送りにされて、私ははじめてバイトをバックレた。

 塾業界のブラックっぷりにはびっくりしたし、何よりも私が一番やりたかった小論文の講師には、いつの間にか省かれ、ずっと事務業務ばかりやっていた。マルチタスクが苦手で、パソコンで資料を作りながら、受付業務をする仕事は本当に地獄だったし、生徒が来てないと電話をかけて、生徒が家から出ているといわれて、そうですかーとなった後に、事の重大さに気づいたことも。生徒から言われた通り、勉強を教えようとしたら裏でバチバチに怒られて「生徒の人生がかかっているのよ!」といわれ、その人は雑誌のモデルにもなっていて、その雑誌がなぜか塾の受付あたりに置かれていたことも。意味不明すぎた。何よりも、耳からの情報に疎いから、人の名前すら正確に聞き取れなくて、何度も叱られた。

 塾生時代だったころは見えなかった闇が見えた。というか、もっと早くに気づけ。ここは頭がいい人を育てる場所の空間で、私みたいな味噌っかすは落ちこぼれなのだと。それでも、文章を書くだけの力があったから、ここにいることを許されたのだと。私が素晴らしい大学に行けば、塾の看板にもなるし、合格一覧表にも綺麗に載ることができる。親身になってくれたのも、ただの優しさだけではない。私が塾をやめないようにするための策略だったのかもしれない。塾でいじめられても、モスバーガーで逃げるように一人でご飯を食べたことも、全て全てつらかったじゃないか。
 周りばかり頭がよくて、味噌っかすは、個別指導でしかほめてもらえない。個別指導の先生だってだますのは簡単だった。だって、テストは宿題の範囲からしか出ないから。前回習った少しの範囲しか出ないから、そんなん宿題をすれば簡単に覚えるわけで、その前の単元なんて丸っと忘れても問題なかったじゃないか。不定詞なんてさ、あんな簡単なテスト。to+動詞の原形の形さえ覚えれば、普通に解けるような簡単な問題しか出さなかったじゃないか。

 そんな環境で育った私が、普通に勉強を教える塾講師の側になった。気が付いたら、内申点をうまくとれない子たちばかりの授業を受け持った。味噌っかすが子供たちに内申点をとらせるために、勉強を教えていたのだ。
 今でも思うのが、なんで塾は先取り先取りをさせるのだろうか、ということ。その前段階で躓いている子たちが圧倒的に多い中で、先取りをしたところでまるで意味がない。学校の授業についていくようにするため?そんなん前段階で躓いている子たちに先取りさせたところで、勉強っていうものは地続きだから不可能だろうと。そんなわけで前に前にと戻って、夏期講習や冬期講習でなんとか先までいけたらラッキーな状態になる。
 でも思うのだが、それでも生徒は宿題をやってこないし、そもそも親から通うように言われているのだから、授業中に寝ても仕方がないのだ。私がいた頭のいい子しか育てない塾とは違って、勉強が苦手な子たちがいやいや通うような個別指導塾。そもそも論、取り組み方が違うのも納得なのだ。
 ついでに、子供たちが勉強をさぼるために色々な策略を立てるのがうまいことは知っていたし、嘘をつくのもうまいのも知っている。だって、私もそれで高校時代を生き抜いたから。だから、宿題は過去に教えた内容も少し含んだ状態で出したし、テストも今までのを覚えているかの確認も兼ねて出した。だって、前やっていた単元だけのテストをコピペしたら、あなたたちは直前に宿題をするから覚えているでしょう?私がそうだったから、よく知っているよ。
 味噌っかすはずる賢いから、他の子供たちがやりそうなことはわかっているつもりだった。
 なんなら、勉強自体を目の前で放棄されたこともある。でも、思うんだけども、いやいや塾に来ている子たちに、どうして無理やり勉強を教える必要性があるの?というか、なくない?やる気がない子のやる気を出すのが塾講師だ!とか言いますけどもね、そもそも論、なんで勉強をしないといけないのかわからない子たちに、やる気もくそもないんですわ。だから、授業時間を使って、勉強をする意味をホワイトボードに書いたし、プリントも作った。それで少しでも勉強をする意味がわかればいいな、と思った。
 でも、もっと言いたいのは、勉強をする意味を教えるのは学校側じゃないのか?って。なんのためにこの勉強をしているの?大学に行くため?大学に行くのがゴールなの?違うよね?いい大学に行くのは、就職でいいところに就職するため?違うよ。就職がスタートですか?そんなん、その子たちがどこをスタートラインにするかなんて違うんだから、もっと個人個人にあったスタート地点を見つけないといけないと思うんだ。

 私、発達障害になって、うつ病とか色々なことになってから思うんだけどもさ。結局、人生の上に勉強があって、やりたいことをするために、必要だから勉強するんじゃないのか、って。んで、やりたいことって常に変化するじゃないですか。そのために、必要なのが大学卒業だったり、資格取得だったりするわけなんです。やりたいことが変化した時に、あの時、まじめに授業受けていれば!勉強していれば!とか思うのは、子供たちが大人になってからなんですよね。
 でも、子供たちにやりたいことをするために勉強するのよ、って教える人ってそんなにいますか?授業やるときに、やる前に勉強の必要性とか教えますか?というか、そもそも論、この考えは私だけで、他の人たちは違うかもしれないから、何とも言えない。
 あと、子供たちに「勉強っていうのはね、夢を実現するために必要なんだよ」とか「やりたいことができるようにするために必要なんだよ」とか教えても、そもそも何をやりたいのかわからないし、物欲も減ったし、タイパとかコスパとか気にしているし、社会情勢も変わっているわけでして。ぴんしゃんとこない子が増えていると思うのですよ。
 ついでに「会社員」「公務員」とか堅実な夢が増えてきたんだとしたら、なおさら勉強は必要になるのだけども、はたまた「youtuber」とか「歌い手」とか「声優」とかになったら、勉強はいらないんじゃない?とか言われそうでなんともいえないわけですよ。
 まあ、頭がいい人(勉強ができるとかよりも、一般常識がしっかりとあって、そこそこ勉強ができて、対人スキルもばっちり、行儀作法も問題ない)が、芸能人とかでは生き残るわけでして。
 

 なんていえばいいのか。わからなくなったけども。
 私は味噌っかすだし、いい塾講師にもなれなかった気がするけども、子供たちが何のために勉強をしているのか、を考えることは必要だと思うなぁと思った。そういうワークショップとかあればいいのにね。
 というわけで日記でした。では。

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