壁と役割
ふたりの幼い少女たちが僕に向かって言う。
「おこってー」
僕にはわからなかった。つまり、僕は日本語をわからないのではなくて、おこるための方法を知らなかった。それは僕の方法ではなかった。
僕はためしにおこってみた。
「こら」
「どうして、いうことをきかないの」
少女たちはわらった。
「ふふ、こわくなーい」
僕は精一杯だった。
大人がなにかをこどもたちに説明している。こどもたちは静まって、一様に座って、半ば義務的に、あまり意義のない説明を、よけいにながたらしい説明のもっともらしい文句を聞いていた。
僕はそのなかにいて、またべつのふたりの少女、いくらか成長した、10歳かすこし上の少女たちが、僕を呼びつけて、隣に座らせていた。
彼女らはまだ遊んでいるふうで、かすかに手を動かしたり、互いをみあったり、たまに僕の方をみやっては、たわいなく話しかけてきた。
僕は、面倒な大人が彼女らを「おこりに」やってくるまえに、静かにしておいたほうがいいと思って、静かにするよう、そう言った。
案の定、年のいった大人の女がきて、彼女らをしかりつけた。
女は神妙な顔をして、まじめくさったようにおこっていた。
すると、女は僕にふりむき、言った。なぜあなたは彼女らに注意しないのか。なぜ平気なふうでいるのか。あなたには義務感というものがないのか。
そういったことを言った。
僕は、いや、僕は注意をした、と言った。そしていまだふざけたようすでいる少女らに、だからいったことでしょう、と言った。
その言葉は、あまりに義務的に感じられた。言い訳だった。義務のある大人のふりをするための、うわっつらのことばだった。僕は寒気がした。僕はその場を離れた。
大人に従わないこどもをしかりつけ、おこる、というのは、僕にはまったく難しいことだった。僕はこどもでも、まして大人でもなかった。それどころか、おそらく青年でも、少年でもなかった。役割を、自身の内にもたなかった。そういった役割を、社会的義務を、無意義なロール・プレイを、なぜこれらの大人たちは、疑問もなく、純真に、自分の義務と信じることができ、それに則ることができるのだろう。僕にはわからなかった。
制服が嫌いだった。僕はこの制服に属してなんかいないのに。悪趣味な制服には。それはつまり、看守の衣装だった。それと意識されぬ刑務場の、義務に敬虔に従事する、無人格な看守の制服だった。
僕はやがて、看守の任を解かれ、制服を剥奪されることになった。
その理由はべつのこと、より究極的な、はげしい、愛と生にまつわるものだったが、遠からず同じことだった。
おこる義務を置いてきたが、愛も置いてきてしまった。
あの場所を、あの小さな園庭を、教会を、社会を、監獄を思い出すたび、ひどく不快な苦い味と、恍惚と光、いたいたしく甘い接触の記憶とが、心をかきみだし、また幸福にした。
壁はもはや遠く、触れえぬものになった。
とにかく、僕はおこることには向いていない。
その必要もなくなった。これでいいのだろうと、そう思う。