読書したようでできていない事象
知り合いに良いと薦められようやく読み終えました。
たった一つの冴えたやりかた。
なかなか読めなかったのは、年かな?薬の影響か?
文字を追う視線が動くんですよ。あっちへこっちへ。
認知症になりかけの人の視線が一か所に定まらないという話みたいに、
私はもう終わりなのかなあと悲しくなりました。
さて、本の説明をします。
まず、これは短編集でありまして、
世界観を同じにする三つのお話が入っているというものです。
一話目が題名ともなっている、十六歳の少女の冒険譚。
恋も知らず友人もおらず、彼女が愛するのは家族だけ。
そんな人生を知らない少女だからこそ選択できたという、
冴えたやり方なのかもしれませんが、
本当に冴えてたらそんな家出何かするなよと、
私は母親の視点で読んでしまいました。
いや、自分が十代だったとしてもコーティに同調できるか、というと、
できない、です。
たぶん作者の感覚が、テッド・バンディが殺しを悠々とやれた時代の若者達の感覚、フラワーチルドレン的思考に近いからなのかな、と思います。
世界中に花を植える事で戦争が無くなる世界。
それはとっても素晴らしい考えですが、無防備にフラフラと出かけて知らない相手の車にホイホイ乗れる感覚は、一生理解できないです。
二話目が孤独な男が決断を迫られれる過去と未来の女への選択。
クローンや若返り技術が存在する世界で、主人公の男ももちろん若い外見を保った人助け屋です。
そんな男が出会ったのは、かって彼を捨てて大女優となった女と、その女の遺伝子による若い女。
そして彼は二人しか生き残れない状態で、どちらの女を選ぶのかという選択に迫られるのです。
アメリカ映画の世界だなあ、が感想です。
そんなバカ女捨ててお前こそ生き残れよ!
数々あるパニック物で、私は画面に対して何度叫んだことか。
金髪の美少女が叫ぶだけでなく吸血鬼をぶっとばすという、
バフィ―というドラマを作った人もそんな感覚だったと聞きますので、
たぶんやっぱり作者とは私は世代が違うのだと思います。
そして三話目が、なんか、しっぽ。
何か色々新しき生命体の説明が始まりまして、
私の脳は理解しようとすることを放棄してしまったのです。
いいえ。
シッポのある生命体ということで、
小松左京のなんか残虐な短編の一片を思い出し、
あれはなんだっけ、主人公が喰われるんだっけ、なんだったっけ?
と、読んでも読んでも過去に読んだ小松左京の小説が何だったのかばかりが頭に浮かび、
すいません。全然頭に入って来ませんでした。
なんか、交信してるっぽいな、そんな展開ではあったです。
でもって、主人公が猿?で喰われる種族でってやつ、
小松左京の短編で間違いないんですよね?
なんかもう、一度気になったらそれを確かめるまでずっと言い続ける年配者みたいで、
これは自分の老化なのかそうなのか、と心配でグルグルです。
以上が私の「たったひとつの冴えたやりかた」の感想でした。
全然冴えてねえ、自分。
駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
しっぽ連想で、私を幸せにしたシッポを紹介します。
花柄ワンピな私を木と間違えて落ちて来たという、実は失礼な奴です。
悪かったな、デブった太ましい棒状でよ。
追加として、ガチャガチャした性格の私が大好きなガチャガチャした音を。
ロシアのパワーメタルのCatharsis (カタルシス)によるЗов Зверя
Зов Зверяは読めませんが、意味は獣たちの咆哮になります。
十年以上好きですが、私はロシア語を理解しようとすることを放棄しているので、十年以上歌詞の意味を知らないまま好きでいます。
だってさ、アルファベットの読み方覚えてCDを購入したら、歌詞やらなんやら筆記体だったんだぜ?
ロシア語講座の本だって買ったのにと、そこで私は全部投げました。