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「いつか帰ってきて」という絆の呪い

『エンジェルフライト』1話のテーマ――母の愛

Amazon Originalドラマ『エンジェルフライト』は、海外で死んだ人の遺体を国境を越えて搬送する「国際霊柩送還士」のお仕事ドラマである。

久しぶりに観たドラマのお涙頂戴っぷりに胸焼けしつつ、作品としては素晴らしいものなのだと思う。映像もきれいだし、ストーリーのテンポもいい、役者の演技もいい。

1話は、マニラで亡くなった青年の遺体送還に関するお話だった。その青年は、7年前にSNSで炎上騒ぎを起こし、著名な建築家である父の名に泥を塗った。その後何をしても無能な彼は、心配そうに息子を送り出す母に背に、「2度と戻らない」と言い置き、実家を出ていったという。

青年はマニラに渡るが、まともな仕事はどれも続かず、スラム街のギャング集団の一員となった。ある日、対立するギャング集団に、自身の空っぽの財布を奪われ、それを取り返そうとした末、彼はなぶり殺しにされた。

なぜ空っぽの財布を取り返そうとしたのか?

勘の良い人はすぐ気づくと思うが、キーワードは「母の愛」

実家を出ていく息子のリュックのポケットに、「いつか帰ってきて」という紙を押し込んでいた。その紙は、かつて、出来が悪いながらもたいそう愛らしい少年だった息子が、母に渡した「何でもする券」だったのだ!!

そう、彼は、財布に入ったその「いつか帰ってきて」券を取り戻そうとし、敵ギャングに殺されたのだ。

死んだ息子がその券を握りしめていたという事実を知った母は、泣きながら、「帰ってきてくれてありがとう」と遺体に微笑みかけたのだった。

めでたしめでたし。

「いつか帰ってきて」券に、なぜ感動させられるのか

こういう「感動あるあるネタ」を仕込んだドラマ自体にいちゃもんをつけるのは、やぼというか、お門違いだろう。

なんせ、利益を生み出すことに躍起になる製作側は、わたしたちの「感動」の痛点を上手く刺激せねばならないのだから。

見る側もきっと感動するだろう。かくいう私も一時間の間何度もうるっとしかけた。

しかし同時に、「うわーー母の愛まじでこえー」っと終始思っていた。

だって、

母が愛する息子に執着せず、「え、マニラ?いいね、気をつけて行っておいで!まあたまには顔見せなよ!ご飯くらい作るから」くらいの態度でいたら、息子だって「いつか帰ってきて」という母の言葉に、自分の命を投げ出すほど縛られなかっただろう。

誤解しないでほしいのだが、この物語の母キャラ、あるいは、「母」という属性に類される人間を批判しているのでは断じてない。そうではなく、

「愛情深い母との絆を守ろうとするため命を落とす青年の物語」に、
わたしたちの涙腺が決壊してしまうのはなぜかを考えたいのだ。

答えは簡単、わたしたちがファミリー・ロマンスの常識にどっぷりと浸かっているから、言いかえれば、

「母子の絆は素晴らしいモノすよ~」と、長年に渡って教育されてきたからである。

近代以前、「子ども」という概念がまだ発明されていなかった頃、彼らは、単なる小さな人間だった。病気で死んでしまうことはざらだったし、食い扶持に困れば殺されることさえあった。

両親に大切にされない近代以前の「子ども」はかわいそうにみえる。だが、その状態を「かわいそう」と捉えるのは、あまりに傲慢だ。だって、彼らの間に「母子の絆」という概念は、まだないのだから。

発明品としての「絆」

農業政策で増えすぎた牛が殺されているというニュースが流れるとき、かわいそうだなあと思うかもしれないが、号泣してしまう人はまれだろう。

それは、現代の常識では牛はあくまで家畜であるため、牛と飼い主との間に生まれるかもしれない命をも投げ出せるほどの深い愛情関係を、わたしたちが想像しにくいからだ。

でも、もし一家に一頭牛を飼う文化が日本にあり、それとの間に寝食を共にするパートナーとしての関係が数百年続いて、絆が生まれていたら?

増えすぎたから牛を殺せなんて政府に言われたら、泣くどころか、激怒して我が牛を守ろうとするのではないだろうか。

つまり、『エンジェルフライト』1話で涙を流すという現象は、
「母の愛」と「それに報いる息子の孝行」という近代以降の発明品によってわたしたちの情動が刺激されるという、たいへん歴史的かつ人為的な反応なのである。


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