共感ベースで読む・囀る鳥は羽ばたかない(53話)


「呪いにかかったままの俺は 昔のお前ばっか探してる」

”会いたかったのは、昔のあなた”。
4年前に諦めたものを瞳の奥に残したまま、過去の百目鬼を想い続けることしかできなかった矢代からすれば、自然な感情。それでもこの言葉で胸がぎゅっとなるのは、想っても想っても記憶は更新されることはなく、いつまでも過去の百目鬼を追いかけるしかなかった頃の寂しさを想像してしまうから。
4年後の矢代は、自分がかつてあんなにも大粒の涙を流したことなんて綺麗に忘れて、百目鬼と再会すれば、もう一度抱かれれば同じものが与えられるはずと期待した。泣かれた方は、涙の意味を考え続けていたとも知らずに。
こうやって過去を追いかけてきた矢代と、これからを見てきた百目鬼は、この先どこで交わるのだろう。

「俺しかいらなくなるように 俺しかほしくなくなるように」

百目鬼が差し出した純粋で甘く優しい果実は、当時の矢代にとっては自らを刺しかねない毒針のようなものに見えたはず。食べてしまえば、愛情と性欲を分離させて自己を保ってきた過去が否定される。過去を否定されることは、自分の人生を誰のせいにもしてこなかったという矜持すらも否定されることと同義で、矢代は果実を食べないと決めた。
けれど、そんな自分の決意とは裏腹に、”知ってしまったからには、もう一度…”と思うサガが心の奥にあることも今は自覚している。だって愛情のあるセックスはあんなにも甘かったから。矛盾の中でこんなにも自分を煩わせる百目鬼の言葉は、「呪い」と表現するより他が無いんだろうと思う。
昔のお前に会えなかった理由を探す矢代。「腹が立ってるからだ」と結論づける。間違ってはいないけれど、「この身体をもう誰にも触らせたくない」という百目鬼の心の叫びはまだ聞こえない。
せめて昔のお前に会えれば、今度はちゃんと果実を食べるのに。そんな声が聞こえてきそうなシーンだった。

矢代の寝顔を見つめる百目鬼

矢代はわかっているだろうか?
目の前で自分を抱くこの男の、人生をかけた執念に満ちた愛情を。
百目鬼は、かつて矢代の言葉で救われ、矢代のために小指を落とし、矢代のために戦った。矢代のために極道に入り、矢代に会うために生きてきた。
そんな泥水をすすった4年間を過ごした百目鬼と、自分を保つことに終始した矢代の対比が二人の表情の違いに描かれているようだった。
百目鬼は、このまま「ずる賢く」愛情を表現し続けるのだろうか。

「欲しいならお前が来いよ」「…」

この短い沈黙、感情のゆらぎ。
”もう井波には抱かれたくない”と言う矢代がいつか見てみたい。そう思っていたけれど、たった一コマの沈黙にそのすべてが込められていて、ああ、もう嫌なんだ、矢代は今度こそ果実を食べに行けるんだという希望を垣間見る。
ただ、井波とのバランスはどうなるのだろう?
平田戦では、矢代は矢代のまま戦った。三角、七原、杉本、百目鬼、誰も近寄らせなかった。禁断の果実を食べて、本当はその果実をずっと咀嚼していたかったはずなのに、そうはぜずに、たった一人で矢代のやり方を通した。
「危なっかしい」と七原に評される矢代が矢代なりに見つけた生き方・戦い方・生き残り方。井波に抱かれることもその一つだったはず。
百目鬼の介入を止められなかった矢代は、もうこれまでと同じような戦い方はしないのかもしれない。あるいは、できないのかもしれない。
本質など変わっているはずもない百目鬼は、きっとストレートに井波を遠ざけにかかるだろうから。

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