おトイレできたら、シールぺったん
現在、我が家の2歳児は脱オムツを図るべく、トイレトレーニングの真っ最中なのである。これがなかなかに難しい。
当の本人は生まれてからずっとオムツをつけている訳で、それを卒業する必要性がわからない。
知能や言語のレベルも当然まだまだ十分に発達していないため、説明してもよくわからない。
そんな中で、我々夫婦は先人たちのアドバイスを参考に、トイレにシールブックを置き
という制度で、脱オムツを教育している。
比較的効果があり、現在では「オムツを卒業する必要性はよくわからないが、とりあえずシールを貼りたいからトイレに行く。」という方向で、徐々にトレーニングが成功しつつある。
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先週の教育のnoteがとても多くの人に読まれた。
特に自分と同じ30代やそれより上の世代から、「完全同意。(泣)」「よくぞ言ってくれた!」といった声がとても多く寄せられた。
医療業界では多くの場所で同様のことが起こっており、実際に教育に疲弊して、教育自体を辞めてしまったという投稿も多くみられた。
また、他業界でもおおよそ同じことが起こっているというコメントを多くもらった。業界によっては、個人レベルでなく組織として対策を講じなくてはならないほど切迫しているという話まで知ることができた。
一方で、自分より下の世代からのリアクションはかなり少なかった。
むしろ「老害」や「下だって全てわかった上でやっている」「上が見限られてだけでは?」と言った貴重な意見も頂戴した。
これらに対して目くじらを立てて、反論するつもりは全く無い。
なぜなら、誰がどう思うが、従来の教育は終わりを告げるだろうし、両者は分かり合えないからである。
これ以上でもこれ以下でも無い。
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頭の良い方は、何が言いたいか既にわかってしまっていると思う。
職場における初期の教育はオムツ卒業のプロセスと一緒である。
何はともあれ、オムツを卒業してもらわないことには始まらない。やりがいなんてのは二の次である。
「やりがい」、「ステップアップ」、「ライフワークバランス」だの語ったところでまだオムツを卒業できていない者の意見をまともに聞く人はいない、ということだ。
幼児は、”オムツを卒業することのメリット”は、卒業しないとわからないどころか、卒業後もしばらくはその本質を理解することができない。
最初は訳も分からずシールという報酬のために、課題をこなす。いずれは報酬なしでも当たり前にできるようになっていく。
さらに歳を重ねていき、集団の中でオムツを卒業できていないお友達を見て、初めて「あぁ、卒業しておいてよかったかも。」と感じる日が来るだろう。
我々も全く一緒である。
全く新しい世界に飛び込むときに、経験のない頭で考えるあれこれは大して役には立たない。
現在の自分が将来に対して、あれこれと立てている予測、将来に必要になっていくと思うスキル、そういったものはあくまで現在のあなたの脳みその中で想定できる程度のことだ。
そんなものの価値は高々知れている。
自分の過去をもう一度も思い返して欲しい。
自分の人生での大きな成功や価値がある物事について、予めの予測通りに動いて、その通りに達成し得たコトってそんなに多いだろうか?
実際は「動き始めること」だけを決めて、あとは動いた先での気づきや環境の変化に合わせながら課題をクリアし、最後は運も重なり、予想だにしない大きな成功につながる、そんなものではないか。
まずはオムツを卒業する、それが肝要である。
誰が見たってオムツを履きながら「オムツを卒業する必要性について」を真剣に親に問う子供の姿勢は滑稽であろう。
2歳児ならそれはそれで可愛いのだが、それが成人した大人であれば目も当てられない。
まずはオムツを卒業してから。そこから自分なりの考え方や在り方を考えていけば良い。
「オムツを卒業する意味」、「オムツを卒業するメリット」、「オムツを卒業しないでコスパよく生きる」
どれもみるに耐え難い代物である。
まずは、言われたことをこなし、階段を一段ずつ登っていき、見える景色が変わることを実感してから、始まる。
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僕は30半ばで、まだまだ人から何かを教わって成長しなくてはいけない。
本業に関してはある程度のレベルには達している。
一方で、副業に関して言えば、全くの経験がない訳だから、いわゆる学ぶ立場、下の立場である。
教わる時には必ず相手にとっても何かしらのメリットがあるように心がけている。それは下の立場なりにできる労働力の提供でも良いかも知れないし、単純にコストやしっかりお礼を言うことでも良いと思う。
SNS世界には副業のノウハウや考え方に発信をしてくれている人はたくさんいる。
ビジネスの世界である以上、その人々がどういう趣旨でそれらを提供しているのか、ある程度の見極めは必要だが、実際にgiverの精神で考えやノウハウを提供してくれている人達はいる。
「学ぼう」と思ったときに学ぶ側に必要以上のプライドはいらないし、「ぼくのかんがえたさいきょうのほうほう」によるアレンジもいらない。
まずは言われたことを愚直にやってみる。
僕の場合で言えば、まずはnoteを更新ペースを上げていくということだ。
それが先にどう繋がるのか、足りない頭で青くさい反省をしながら、前に進んでいくことが必要と考えている。
そして、現在、まだ発信を始めて1ヶ月程度ではあるが、すでに予想しないいろいろな繋がりを実感でき、始める前に想像していた自分の在り方とは既に大きく異なっている。
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タイトルは「おトイレできたら、シールぺったん」である。
僕ら大人には、残念ながらトイレができても無条件の「シールぺったん」はもうない。
僕らはもう2歳児ではないし、上司や師匠は親ではないからだ。
自分の描く成功のため、短期的な報酬や見返りを求めずをひたすらに努力を積み重ねるしかない。
もちろん簡単なことではないし、同じ位置に留まり続けることの方が楽で幸せなようにも感じてしまう。
ただ、その道を行くと自分で決めたのであれば、自分自身と戦いながら進んでいく必要がある。
そして最後に、
「トイレができないどころかオムツを卒業する気もないのに、シールぺったんを求めてくる人」
に出会ってしまったら、、、
2歳児以下の赤の他人に、我々ができることはもはやないのである。
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
面白いと感じてくださった方、スやXでの拡散がとても励みになります。
一緒に皆さんと成長していきたいと思っています。よろしくお願いします。