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「昔は怖かった上司」の発生メカニズム

「あの先生、昔は怖かったんだよ。」


どの病院にもそう言われる医者がいる。

僕自身も医者になってから、多くの「昔怖かった先生」に遭遇してきた。

大抵は仕事がめちゃくちゃできる人で、その領域では名を馳せている人が多い。

怖い理由は「仕事に対して求めるものレベルが高い。」この一点に限る。

ところが、どういう訳か、ある一定以上の年齢や役職になると、大体が角が取れて優しくなる。

このメカニズムについて私見を述べさせていただく。

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新社会人、あるいは転職で、右も左もわからない新しい職場に飛び込む時、やはり気になるのは「怖い上司」だろう。

怖いと言っても顔が怖いとか、体がデカイとかそう言うことではない。

本能的に最も怖い上司は「仕事ができる上司」だ。

僕が働いていたA病院にもそんな先生がいた。

T先生だ。

もともとかなりハードワークされており、加えて学術活動も非常に熱心だった。

ただ、興味の中心は自分の仕事のみ。病棟業務などの雑用などは部下に丸投げ。

しかも部下の力量は一切考慮しない。

明らかに実力不足の新人部下にもオーバーワークお構いなしにどんどん仕事を振ってくる。

そして、少しでも仕事ぶりが不十分でT先生に仕事が来ようもんならブチギレられる。

そんな先生として有名だった。

「T先生のチームになると終わる…」

下っ端Drの中ではそんな空気が流れていた。

僕は幸にして、奇跡的にそのハズレくじを引かずに過ごせていた。

そうこうしているうちに、T先生は提携先の外部施設へと研修に行くことが決まり、さっさと旅立ってしまった。

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そしてそれから数年が経ち、なんとあのT先生が戻ってくると言う噂が流れた。

「やばい…またあの地獄の日々が…」

院内に緊張が走った。


そして、発表された新たなチーム編成。

「うわ…なんてこった…」

僕はT先生のチームに配属されていた。

僕は見事にババを引き当ててしまったのだ。

T先生の赴任日までは胃が痛かった。同期や先輩からは

「ドンマイ!」「御愁傷様(笑)」

と半笑いで慰みの言葉を投げかけられていた。

そしてついにそのX dayがくる。

改めて帰還したA病院で自己紹介をするT先生は、以前とどこか違う空気を纏っていた。

刺々しさがなくなり、柔和な雰囲気に溢れている。

気さくに冗談を言うことも増えた。

僕は拍子抜けし、

「あれ?こんな感じだっけ?」

と、どこか腑に落ちないまま業務を共にすることになった。

いざ、チームでの仕事が始まってからも、以前のような後輩のミスを叱責する姿は見られなくなった。

病棟の看護師からも「優しくて面白い先生」と以前とは打って変わった評価になっていったのだった。

同期や先輩も「はて?これはどういことか?」と理解できていない。

「一体なにがあったのだろうか…」

歳を重ねて丸くなった?

外の病院から戻って来たことでA病院の素晴らしさを再発見した?

色々な憶測が院内を駆け巡ったが、答えはそのどれでもなさそうだった。


間近でT先生を見ていた、僕にはうっすらその真実の気配を感じ取ることができた。

あぁ、なるほど。T先生は行ってしまわれたんだな…


そう、T先生は、一段上の世界に抜けることに成功していたのだ。

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外病院で多くの学術的な成果を挙げたT先生はキャリアを確固たるものにしていた。

多くの病院から、地位権限のあるポストでのオファーがひっきりなしに来る状態になっていたのだ。

また、その学術的成功は横のつながりも強くした。

日本全国の優秀な医者たちに顔が売れたT先生は、もはやどこでも自分の看板で生きていけるステージまで上がったのだった。

恩と義理もあり、体裁上A病院に帰っては来たが、T先生は以前とは違うステージに立っている。

もはやA病院に媚び諂う必要はない。

以前のように自身のキャリアをガムシャラに追い求める必要もない。


そして、このA病院での仕事がおそらく最後の実働部隊としての仕事になる。

上のステージが上がった今、今後はいち戦闘員として病棟の雑用に付き合ったり、後輩のしょうもない尻拭いをすることは無くなる。

そんな自身の立ち位置の変化がT先生の鋭い牙をそっと隠していた。

以前ならボコボコにされそうな後輩のプレゼンも多めに見るようになった。病棟からの雑用の電話も「あーいいよいいよ。」と穏やかに返すようになった。

これまでの事情を知らない1年目の後輩は

「T先生って意外と優しいじゃないですか〜」


と喜んでいるし、コメディカルは皆口を揃えて 

「T先生、丸くなったね〜」


と喜んでいる。

T先生は極めて自然に、

「昔は怖かった上司」

になっていった。

そして程なくして、T先生は凄まじい報酬額ポストを提示され、他所の病院へと栄転されていった。

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ステージが上がった人は優しくなる。

それは「本人に余裕が生まれたから」とか言うおめでたい話ばかりではない。

そのメカニズムには取り巻きを置き去りにしていき、すでに前の環境に関心がなくなったケースが多分にしてあるのだ。


それはすなわち、

「もうこのステージの人たちと関わることがなくなるのに、今更揉めるのもな。」

という、無関心な優しさだ。


この「無関心な優しさ」にどこかで見覚えはないだろうか?




これは現代の職場に蔓延している奇妙な生暖かい空気感と同質のものだ。



令和の時代では「厳しい上司」自体が絶滅危惧種である。

「上司が優しいことは大前提です。あなたはそれに加えて何を部下に与えられますか?」

という正気の沙汰とは思えない発想が共通認識になっている世界線。

こんな世界では緊張感のある教育を提供することはハッキリ言って不可能だ。

下が強制的に引き上げられることのない世界では、両者のステージはいつまで経っても別世界のままだ。

ステージが上がり、以前の同じステージの人々に無関心に優しくなったT先生。

下のステージから上がってくる気配もない若手たちに厳しい指導をしない上司たち。

そのメカニズムは全く一緒だ。

部下に配慮して、訴えられるのが怖くて、厳しい教育を避けているわけではない。

上司のパーソナリティの問題ではなく、他覚的なステージの差が無関心な優しさを生み出している。

現在の職場に「優しい上司」が増えた理由はこのメカニズムに起因している。

そしてそのメカニズムの気配にすら気づかず、

「上司が意外と優しい」
「怒られないのでコスパが良い」

と喜んでいる姿は、救いようもないほど滑稽で、残酷で絶望的な佇まいだ。

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「昔は怖かった上司」の発生メカニズムとして今回のようなケースは決して珍しくない。

これから会社やら社会に巻き込まれる人は、例外なくこの問題にぶち当たるだろう。

「昔は怖かった上司」が発生するメカニズム。

自分自身がレベルアップし、上司に認められ信頼関係が強固になったというポジティブな変化であれば、それはなんとも喜ばしいことだ。

一方で、

上司がステージを超えて行き、ただただ自分たちが取り残された結果なのであれば…


その「優しさ」は、いつまで経ってもあなたをどこにも連れて行ってくれない。


何故ならそれは「優しさ」ではなく、社会の底で留まり続ける弱者への、せめてもの"贖罪"なのだから。




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