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306 自分とは、大海の一滴

 地球の四分の三ぐらいは海ですから、海というのはすごく大きいですね。しかし、どう見ても、一滴、一滴で海水でできています。

 「私」と思う自分は、その一滴の水のような存在です。たくさんの生命がいる中で、たった一つの生命として生きる「私」を海にたとえると、「一滴の海水として、海の中で生活している」状態です。

 そのとき、「私」という一滴の海水が海としているなら、何の問題もなく、大丈夫です。

 しかし、自分だけ、一滴の水だけ出しゃばって、威張って、「私が偉いぞ、特別だぞ、唯一の存在だぞ」と思うとしたら、どうでしょうか? 一滴の海水である「私」が、どんなに威張っても、大海に対して何の影響もありません。話にもならない無智な思考です。

 威張るだけでなく、「私は、こんなほかの海水と一緒にいたくない」といって飛び上がってしまったら、たちまち蒸発してしまいます。

 わざわざ威張って、自分が他人と違う特別な命だと思ったりして、他人を差別したりすると、その人の人生にあるのは苦労だけです。結局は怒り、憎しみ、落ち込み、傲慢、欲、無知などの悪感情がたまって、心が悪臭を放つ汚れた存在になるのです。

『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版
【結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6」 (サンガ新書2008年) p36】

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