76 対話で真理に達するということ
もしかすると、仏教は自分の意見とはまったく違うことを言っていると感じるかもしれま せん。自分が責められたように感じたとか、侮辱されたと思ったとか、そういう気持ちが起きる可能性もあります。しかし、そのときは、「それは、自分の心に潜んでいるとんでもない勘違いがテロ行為を起こしているのだ」と理解してほしいのです。完全たる慈悲で説法されたお釈迦様に、人を侮辱する気持ちは毛頭ありません。他人を侮辱するためには、自我が必要です。ブッダには自我意識がないのです。では、どうすればよいのでしょうか。説法を聞いたり、仏教の本を読んだりして、嫌な気持ちになったとしましょう。その瞬間の感情に気づいて、「あっ、自分の意見とブッダの意見は違うんだなぁ」と思えばよいです。「意見が違う」というところでストップするのです。ブッダの教えだからといって、そのまま鵜呑みにするのも危険です。鵜呑みにすることは自ら智慧を開発するアプローチの対極です。鵜呑みにせず、拒絶することもなく、ただ納得に達するまで、ブッダと対話すればよいのです。対話はお釈迦様が推奨したスタイルであり、仏教ブランドのようなものなのです。
『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《仏教》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【瞑想経典編 ━ ヴィパッサナー実践のための5つの経典(2013年 p182】