昨日のサッカー 対オーストラリア戦 (1669文字)
昨日(20241015(火))の夜、珍しいことにサッカーの試合(日本対オーストラリア)を観ました。
私は野球もサッカーもラグビーも自動車レースも好きですが、試合やレースを観るということはほとんどありません。
その理由は、一つには時間の問題です。
野球はいつ試合が終わるか分からないので、「試合放送後は寝るだけ」という場合でないと観る気になれません。
サッカーは、アデショナルタイム(additional time かつてはロスタイムと言われていました。サッカーやラグビーの試合において選手交代、負傷者の手当やコート外への搬出、その他アクシデントが生じた際に、中断された分の時間を試合時間に追加するルール。)がありますが、試合終了時刻が計算できるので野球よりは安心です。
自動車レースは、日本で放送されているものは長時間のものが多く、付き合い切れません。F1(「エフワン」フォーミューラーワン世界選手権 FIA Formula One World Championship)のような短距離レースなら2時間から3時間ほどを見積もればいいのですが、最近は日本で放送していません。
私としては、その日一日を自由に暮らすと決めた日を除いて、娯楽に映画を観る時間(だいたい2時間くらい)以上を使うことには躊躇します。
もう一つは、試合やレースの展開でハラハラしたくないのと、集中すると頭が疲れるからです。
応援しているチームが勝っていると、「このまま優勢を維持して最後まで行ってくれ!」と強く念じるので疲れますし、負けていると「最後には逆転してくれるだろう。」という強い期待で心身ともに疲れます。
また、球技であればボールを中心に選手の位置取りなどを見ようとするので視野を狭めたり広めたりして目が痛くなります(野球の場合も、打者の立ち位置の変更などを見てしまいます。できれば内外野手の位置も分かるといいのですが、テレビ放送ではそういうのを観ることができません)。
自動車レースであれば、映像を見ながら「今サーキットの何処を走っているのか」を頭の中で考えるので脳が疲れます(インディー500[アメリカ合衆国インディアナ州のスピードウェイで毎年行われるイベント ]のようにオーバルコースを周回するレースの場合はサーキットの何処を走っているのか考える必要はありませんが、時間が長すぎてやはり疲れます。)
人間は一日のうちに数多くの判断をしていて、その判断の度に脳のリソース(resource 資源)を使うそうなのでつまらないことの判断を繰り返していると、それだけでリソースが減ってしまい、肝心なことに頭を使うことができなくなるといいます。
元メジャーリーガーのイチローさんが、現役時代に毎朝カレーを食べたというのも、朝食の選択と判断に頭のリソースを使いたくなかったからだそうです(実は私も、箪笥の中で手に取りやすい服を着るので妻から「同じ服ばかり着るのはやめてちょうだい。」と言われます。でも、私は服を選ぶことに頭のリソースを使いたくないんです。)。
私の場合は、試合やレースに気持ちを入れ込んで疲れると、その後テキストや資料を読む元気がなくなるので、よほど余裕があるときでないと試合やレースの観戦をしないようにしています。
ところで昨日の日本対オーストラリアの試合ですが、結果はともかく日本は長い時間攻め込んでいて優勢だったと思います。
細かなミスとか連携がとれない箇所があったのかも知れませんが、全体としては日本はオーストラリアより強かったという印象です。
両チームも比較的フェアな試合をしていて見ていて嫌な気持ちはしませんでした。
私は、テコンドーサッカーやカンフーサッカーのチームは、受け入れがたいくらい粗野で野蛮な連中と思っています。
私は、イングランドのボビー・チャールトン(詳細をここには書けないので、関心がある方はネットで調べてください。)をサッカー選手の一つの理想像としています。