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『ロボコップ』 (1678文字)

 アメリカ映画『ロボコップ』は、半ば死亡した人間の意識をロボットに移植するという設定が『エイトマン』に似ているのと、ロボットが警察官として活躍するという設定が『ロボット刑事』に似ています。

 でも、ロボコップは、エイトマンやロボット刑事のK(エイトマンもKも漫画の主人公です。)と異なり徒歩移動の速度は遅いです。そのため、迅速に移動しなければならないときはパトカーを使用することがありますが、犯罪現場に到着すると徒歩移動になります。でも、強力な防御力と3点バースト(一度引きがねを引くと3発発砲します。)の拳銃で犯罪者に迫る姿はまるで装甲車でした。

 二足歩行で装甲車といえば、『ターミネーター』を連想しますが、この二人が戦ったらどうなるのか見てみたいところです。

 映画の中でロボコップに大きな修理を行い、再起動させるシーンがあります。このとき、画面に起動プログラムが表示されるのですが、私の記憶ではそれはBASICのコードでした(その後作られた作品では、MS-DOSのバッチファイルのコードだったり、C言語のソースコードだったりと、パソコン好きを喜ばせる設定がありました。)。

 さて、『ロボコップ』は、もともとはアレックス・マーフィーという警官だったので、ロボコップの内部では、マーフィーの記憶がロボコップの意識に干渉することがあります。
 このところがエイトマンと異なるところで、エイトマンの意識は東八郎の記憶と同化していて、その意識に迷いがありません。
 一方ロボコップの意識は、プログラムに支配されているのですが、人間だったころのマーフィーの記憶がノイズとしてプログラム実行の障害になることがあります。
 そこで、ロボコップはマーフィーについて調べ、自分の出自(「しゅつじ」出どころ。うまれ。)を知ることになります。
 以後のロボコップの行動は、警官として悪を退治しようとしているのか、復讐しているのか分からなくなります。ロボコップが発する言葉が論理的なだけに、その言葉の背後にある意図が分かりにくいだけに、ここだけマーフィーがロボコップを制御しているようにも見えます。
 もっともターミネーターのように、「こちらの怒りを惹起(「じゃっき」事件・問題などをひきおこすこと。)させる相手の言動がきっかけになり、その相手に攻撃を加える。徹底的に。」というプログラム上の作用なのかも知れませんが。

 映画でのロボコップは人間により作られた生命体のような扱いなので、『フランケンシュタイン』の怪物との類似性を語る人がにいます。
 ブランケンシュタインの怪物(フランケンシュタインは、怪物を作った人の名前であって、怪物の名前ではありません。)は、人間のようになりたいと願いながらも裏切られたり、息子が父親に刃向かうような情念で行動するようなところがありますが、ロボコップにはそんな人間性などありません。あるのは、マーフィーの断片的な記憶と、シカゴの治安維持という使命、それにプログラムによる行動制限だけです。
 ロボコップは、映画の最後で名前を聞かれ、「マーフィー」と答えます。
 でもそのことは、人間のころの記憶とロボコップとしての自我が一致したわけでもないし、ロボコップが人間になったのでもなく、「ロボコップがマーフィーの記憶を持っているということを受け入れただけだ。」と私は解釈しています。

 「自分とはなんなんだろう。どこから来て、どこへ行くのだろう。」と一度は自問自答ことがある人って少なくないと思います。
 そういう人はロボコップとマーフィーとの関係についても同様に悩んでいると解釈するかも知れません。
 こういう疑問は、失恋したり、試験結果が芳しくなかったとき、スポーツの大会で目標の成績をあげられなかったとき、秋の夜長に考えるにはちょうどいいです。

 私の答えは次のとおりです。
 自分とは、タンパク質の固まり。
 どこか来たのかといえば、母親の子宮の中から。
 どこへ行くのかといえば、多分墓の中。
です。

 私は、情緒的な問題を好まないのです。
 


#おすすめ名作映画 #ロボコップ

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