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おすすめ名作映画・・・『野良犬』 (2260文字)

 映画にしろ音楽にしろ好みは人それぞれなので、名作と言われる映画であっても他人からすすめられるのは鬱陶(うっとう)しく感じることがあります。
 少なくても私はそう感じることが多いので、この投稿は「おすすめ」というよりは、「映画紹介」として書いてきます。

 映画『野良犬』(のらいぬ)は、故黒澤明監督の1949年の作品で、太平洋戦争の敗戦から4年後に公開されています。ということは、戦後の混乱が最も激しい時期に作られたということになります。 

 物語は、スリに拳銃(コルト)を取られた刑事が、その拳銃を取り返すまでを描いています。

 舗装されていない道路、刑事らの移動は徒歩かバス、娯楽といえばラジオの野球中継、そんな戦後の風物の中で主人公の村上刑事(三船敏郎)は自分が盗まれた拳銃による殺人事件を追いながら苦悩します。

 村上刑事の拳銃はバスの中でスられた後、拳銃密売屋から遊佐(「ゆさ」木村功[きむらいさお])という特攻隊あがりの帰還兵の手に渡り、この遊佐が犯罪を重ねていきます。
 最終的には、村上刑事と遊佐との対決になります。

 この映画では、戦後の日本の風俗が数多く描かれていて、村上刑事と犯人遊佐の各々の経歴が最も注目されます。
 ふたりとも復員兵で、ふたりとも復員途中に全財産が入ったリュックを盗まれたこと、そのことでふたりとも捨て鉢な毒々しい気持ちになります。

 この当時は「特攻帰り」と称するゴロツキが多くいたそうです。その昔、佐渡島(さどがしま)に島流しにされながらも島から脱走して帰ってきた者は「さどがえり」(ヤクザ用語では「どさがえり」)と称して、ヤクザの中では「死線を超えてきた者」として顔が利いた(大物として通用した)といいますが、それと似たようなものだったのでしょう。「オレは死を覚悟したことがあるんだから、なにも怖いものなどない。オレに逆らうと・・・。」というわけです。
 「さどがえり」の場合は「サ」の字の入れ墨が佐渡島に流されたという証(あかし)になりましたが、「特攻帰り」の場合はそういうものがないので、口調と勢いで信用させていたようです。

 また、当時は日本の警察では治安を維持しきれない状態だったこともあり、遊佐が闇落ちしていったのは無理からぬ事情を感じさせます。

 しかし、もう一方の村上刑事は、遊佐と似たような環境にありながらも、「ここが危ない曲がり角だと思って、まわり右して警官になったんです。」(私の記憶なので正確ではないかもしれません。)と先輩の佐藤刑事語っていていることから、まっとうに生きようとする人間のバイタリティー((vitality 活力。)があります。

 当時の観客は、このふたりの対立構造を見て「敗戦とその後の日本の無法地帯化、それにGHQの支配という環境下での生き方」を示され、「どっちにする?」と選択を迫られていると感じたのではないかと思います。

 戦後の闇市で大儲けした連中は、復興が進むにつれてだんだんと姿を消していきますが、少数ながら残った者もいます。

 私は、ロッキード事件で知られるようになった児玉 誉士夫(こだまよしお)が死んだ時に「やっと戦争の尾骨(びこつ)が消えた。」と思った人は少なくなかったと思います。(児玉 誉士夫:「こだま よしお」、1911年〈明治44年〉2月18日 - 1984年〈昭和59年〉1月17日)は、日本の右翼運動家。 自称CIAエージェント。 暴力団・錦政会顧問。 太平洋戦争中に海軍航空本部のために物資調達を行い、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売りさばいて莫大な利益を得た。)

 戦後のどさくさの時代には、街には浮浪児が溢れ(たまに当時のニュース映画の映像で10歳に満たないような子供がタバコをくわえながらなにかやっている姿を観ることがあります。)、ヒロポン(覚せい剤)は普通に薬局で売っており(当時はまだ違法ではありませんでした。)、田舎から出稼ぎに来た人たちは「眠らずに働き続けることができる。」としてヒロポンを常用しそのうち依存症になり、しまいにはまともにしゃべることもできなくなり、そのうち身元不明者として死体処理されることが頻繁にあったそうです。
 また、パンパンと呼ばれる売春婦は米軍兵士相手に商売して、なかなか羽振りがよかったそうです。
 だから、そんな環境下でまっとうに生きていくのは難しいことだったと想像できます。
 でも、その難しい方を選んだ村上刑事。
 その村上刑事から盗まれた拳銃で犯罪を重ねていく遊佐。

 私たちの人生にも「ここが危ない曲がり角」があります。角を曲がる前なら助けてくれる人がいますが、曲がった後は誰も助けてくれません。そして曲がるかどうかは自分一人で決めなければなりません。

 映画の終わり、村上刑事が遊佐を追い詰め捕まえるシーンでは、近所の一戸建ての住宅で若奥さん風の女性がピアノを弾いています。そして、小学生が楽しそうに集団登校しています。
 闇落ちした遊佐は、この日差しの中の明るい社会に戻ることはありません。
 しかし、あのとき「まわれ右」した村上刑事は、拳銃(コルト)を取り戻し、そこの明るい社会を自由に闊歩(「かっぽ」ゆっくり歩くこと。)することができます。

 映画前半は、治安の悪い日本の暗部を描き、映画の終わりは明るい未来しか感じさせない日本を背景に、自暴自棄になった人間の末路とまっとうな生き方をしようとする人間を描くこの映画を、押し付ける気は毛頭ありませんが、おすすめします。

 


#おすすめ名作映画

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