戸田奈津子さんに聞いてみよう
「はっきり言うのね」
ある時、部下と一緒に、ある会社の専務に文句を言いに行った。新任の専務が、事あるごとに余計な口出しをするので、仕事が進まないと言う部下の言い分に理があると思ったからだ。仲裁役として社長も同席したが、二人とも英語を母国語とする外人役員だった。
話が噛み合わず、私が思わず「あなた(たち)は何しに日本に来たのか?」ときついことを言うと、「You are so wild.」と社長が言った。
帰りがけのエレベーター・ホールで、部下が「『野蛮人』とはひどいですね」と言うので聞き返すと、さっきの英語だった。英語が苦手の部下に、「あれは、戸田奈津子さんの字幕では『はっきり言うのね』となるんだよ」と答えると、部下がキョトンとしていた。
後日、あれは確か「カサブランカ」か「風と共に去りぬ」のような名画に出てくる有名女優の言葉だったはずだと思い、映画を何本か隈無く見たが、見つからなかった。
「今夜の酒は荒れそうだ」
戸田奈津子さんが字幕の道に入ったのは、清水俊二さん(1906〜1988)と言う先達がいたからだそうだ。(映画)「第三の男」に「シビれまくっていた高校生の頃」、字幕の台詞も覚えるようになったと言う。
主演ジョセフ・コットンに「今夜の酒は荒れそうだ」という台詞があったが、原文は「I shouldn’t drink it. It makes me acid.」で、直訳すれば「これ(酒)を飲んではいけない。これは私を不機嫌にするから」になる。しかし日本語字幕では「今夜の酒は荒れそうだ」と訳され、そのセンスに感動したと言う。映画の最後に映し出される日本語字幕に映し出された「清水俊二」という名前だけを頼りに、門を叩いたそうだ
「本気よ」
米国の女優キャメロン・ディアスが、映画雑誌のインタビュー記事の最後の質問で、「何か知りたいことはあるか?」と尋ねられ、「E=mc^2が、何を意味するのか知りたい」と答えた。(インタビュアーとディアスの)ふたりは笑い、そしてディアスの「本気よ」という言葉で記事は終わっていたと、英国の科学ジャーナリスト、デイヴィッド・ボダニスが、その名も「E=mc^2」(2010年9月 早川書房刊)という本で書いている。
私は、ディアスの「本気よ」というところが大変気になり、原書を買ってきて調べると、ディアスは、”I mean it"と呟き、訳者はそれを「本気よ」と訳したわけだが、適訳と思うし、ディアスがますます好きになった。(note2023年2月1日投稿「ことばの凝縮力」に詳しく書いた)
最近見た映画で、この"I meant it"を聞いた。母親が、なかなか学校に行こうとせず言い訳する子供を諭す場面で、「早く行きなさい」と言う字幕がついていた。
「言い出しかねて」
映画の字幕と本の翻訳もあるが、圧巻はジャズだろう。”I cannot get started"を「言い出しかねて」と訳したのは、見事だと思う。
ジャズ評論家でもあった大橋巨泉の名訳と思っていたが、異論もあるようだ。歌詞内容からすると誤訳であり、そもそも大橋=翻訳者も疑わしいという。
個人的に名訳と思った例をいくつか挙げると、
All of me (私の全て)
All of you (あなたの全て)
All things you are (君は我が全て)
Body and soul (身も心も)
Come rains or come shine (降っても晴れても)
Don't get around much any more (浮気はよして)
I did not now what time it was (時さえ忘れて)
Smoke gets in your eyes (煙が目にしみる)
You turned the tables on me (私に頼むわ)
1~3は揃うと面白い。4と5は、短くまとめてリズム的にも良い。6は、言い方が何とも面白い。7はうまい日本語になっていると思うが、8で「目にしみる」のは相手(you)の方ではないかとも思うのだが・・・9番は、アニタ・オデイが歌ったCDから採ったが、ライナー・ノーツで触れられず、なぜそうなるかどうしても分からない。
面白い名訳・迷訳はもっとあったはずだと、家のジャズCDをあれこれひっくり返してみたが、英語原文と対比するのは大変な作業になりそうなのと、輸入盤からネット検索するのも大変なので、後日改めて調べてみようと思っている。
(了)