既婚アラサー女同士の会話
~前日談~
私は先日、友人(会社の元同僚。以下Aとする)に会うため地元へ向かった。地元は電車で2時間ほどの距離。もちろん子どもを預けるツテもないので一緒に。日帰りはしんどいと思い、実家へ前泊させてもらうことにした。抱っこ紐にすっぽりおさめ、リュックにおむつや着替えなどを詰めたら前も後ろも重いこと。小雨降りしきる中、最寄り駅へえっちらおっちら歩いて行った。
長距離電車に乗るのは産前以来だ。通勤で見慣れている風景なはずなのに、何だか知らない土地へ向かう気分になった。ホームを早足で歩く人たちを見ると、変わらず日常が動いていることを実感する。私の日常だってそこに組み込まれているはずなのに、見れば見るほど別世界な気がしてくる。そういえば、働いていた頃は一日も一年もあっという間に過ぎていって、自分の歳さえも忘れかけていたっけ。あまりにも時間軸が違いすぎて愕然とした。
そうして着いた実家には、私物がほとんどない。当然だが自身の部屋もない。古いアルバムなども全て、私が今住んでいる家へ送られてきているので、急な泊まりになるとあれもないこれもないになりがちだ。今回無くて困ったのは下着類。
①パンツ
母と2サイズくらい違う(母の方が小柄&細身)ので、まだおろしていないもので伸びそうな一枚を頂く。しかしめっちゃキツい。父からもらったほうが良かった説が浮上した。
②ブラ
産前に何度か泊まったとき買っておいた予備をおろすも、授乳中でこれまた入らない。ムフフ!・・・じゃなくて、普通に困る。当日着用していたものを洗い、浴室乾燥機の爆風で乾かした。
そんなこんなで子どもは若干ぐずりを見せたものの、夜はいつも通りすんなりと寝た。ここで昔の私なら、「せっかくだし、少しくらい夜更かししちゃお!」と思うのだが、今はもう一刻も早く寝たいの気持ちが勝る。横になったらあっという間に意識が飛んでいった。
翌日は11時に駅前で待ち合わせていたので、早めに朝食や軽く化粧を済ませて子どもに離乳食を食べさせて準備完了。この日は実母へ一時間ほど託すことに。幸い子どもはウトウトし始めた頃で、寝顔にちょっと行ってくるねと声をかけて家を出た。
~当日談~
さてタイトルのお話、今回会ったAは41歳既婚女性。私は36歳(早生まれで2月には37歳になる)なので4歳差。Aは犬を飼っていて子どもはいない。持つことは恐らくないだろうと、以前から話していた。だけどいつも「旦那が高齢だから」とつけ加える彼女を見ると、本当は諦めていないんじゃないか?と感じることがあり、私はそこが少し気になっていた。
ある時Aの母は認知症になった。以前からデイサービスを利用している話は知っていたがこの手の病は、進行を遅くすることはできても治ることはない。耄碌している中で最近、急に「孫が見たい」と言うのだとか。Aは苦笑いをして「本気にはしていないんだけど」と、ポツリと呟く。その横顔を見るとうっすら涙目で、なんだか私まで泣きたくなった。同じ立場だったら、と軽く言えたものでもないが、彼女の気持ちを考えたら胸が苦しくなった。
そういうことがあって、心揺らぐことがあり色々と考えたのだそうだ。でも結局、その言葉のために不妊治療をするだとかを決めるのは違うと思ったらしい。子を産む身体を持っているのは結局、女性だけであり私たちの心の隅には常に葛藤がある。そして実際はそんなにトントン拍子で妊娠出産がいかないことも、十分知識としてあるから足踏みをする。
私はただその話をゆっくりと聞いていた。子どもはどう?とAから聞かれたとき、私は「うん、大変っちゃ大変。自分の時間は当然ないし。まぁでもこんなもんかな、って思う自分もいる。でも他人に子どもはいいよ!なんて勧めたりは絶対しないよ」と話したら、笑っていた。私のことを真面目だという彼女の方が、圧倒的に真面目だと常々思う。だって私は子どもを産む産まないで真剣に悩んだり、向き合ったりして来なかった。だからといって今、子どもと向き合ってないわけではないけど。そういう意味では、私も真面目なのか?どっちなんだよ!
そんなこんなで一時間弱、コーヒーを飲みながら尽きない話に区切りをつけて店を後にした。帰りに私の実家へ寄ってくれて、子どもの姿を見て「なんかめっちゃ大きい!」と言う。それもそうか。Aに子どもの写真を送ったのはお宮参りの頃の写真が最後だから、ざっくり7カ月ぶりくらい。毎日見ていると、大きくなった気がするの「気がする」がずっと抜けない。
頂いた写真立てに早速、最近の一枚を入れて飾る。隣がお宮参りのときの写真だ。確かに、大きくなった。