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【読書感想文(8)】柏葉幸子『地下室からのふしぎな旅』(1981年)

アカネが薬をもらいにきたチィおばさんの薬局の地下室にふしぎなお客さんがやってきます。「木の芽時の国」の錬金術師だというその人につれられてアカネとチィおばさんは「となりの世界」に「契約の更新」にでかけていきます。さあ、ふしぎな旅のはじまりです。『霧のむこうのふしぎな町』に続きファンタジー永遠の名作をお贈りします。2019年4月公開のアニメ映画「バースデー・ワンダーランド」の原作本。

『霧のむこうのふしぎな町』に続いて読了。柏葉作品は本作で2作目となるが、柏葉氏のいわゆる作家性がある程度見えてきたように思う。

まず、ファンタジー作品ではあるが、お話の中にリアルな描写がみられること。例えば本作では、主人公アカネのおばさんが営む薬局の地下室に「異世界への扉」が開かれる。そこから異世界人のヒポクラテスらがやって来るのだが、その来訪の理由が、二つの異世界をまたぐ「地所」の使用契約を更新するためという、かなり現実的な理由なのだ。

本作のみならず、前作にもこうした現実味を帯びた描写が随所に見られることから、少なくとも柏葉氏にとっての異世界が、読み手に空想的な快楽を与えることを目的としたファンタジーとは一線を画すものであることは間違いないだろう。

なぜだろうか。それを探る鍵として、作中におけるチィおばさんらの発言、すなわち「こちら側とあちら側の人間に本質的な差異はなく、元を辿れば祖先は同じ」であるとか「異世界は現実世界に起こり得た無数の世界線の一つであるかもしれない」といった言及が非常に興味深く立ち現れてくる。

要するに、ファンタジーだからといって摩訶不思議な世界を描くのではなく、あくまでも現実世界の延長線上に存在するもう一つの世界として異世界を描き出すことを、柏葉氏は作品づくりの前提にされているのではないだろうか。

また、この「世界線」の話にはマルチバース世界の存在が暗に仄めかされている。マルチバース世界、いわゆる多元宇宙論は、最近でこそ様々な小説・映像作品で取り沙汰されている人気テーマだが、まさか40年以上前の日本の児童文学でも扱われているとは思わなかった。マーベル・コミックスの影響だろうか。こうなってくると『霧の向こうのふしぎな町』に出てきためちゃくちゃ通りも、マルチバース世界で繋がった世界線の一つなんだろうかと、無邪気に想像してみたくなる。

さて、先述したように、本作の「異世界への扉」は薬剤師のチィおばさんが営む薬局の地下室に開かれる。実は、柏葉氏は薬剤師をしながら小説家として執筆活動をされていたそうで、だとするとチィおばさんは作者自身の投影なのかもしれない。また、この二重性は、本作に登場するその他の様々な関係性にも意図的に流用される。

例えば、物語の主人公としてアカネとチィおばさんの二人が設定されていること。両者とも同じくせ毛頭を持つこと。アカネとカスミという二つの呼び名があること。薬局が二つの町にまたがって建っていること。異世界人のヒポクラテスも古代ギリシアに同名の医者が存在している。こうした複数の二重化は、二つの世界をまたぐ地所の存在を強調する意図以外に果たして何ら意味を持たないのであろうか。

個人的には、やはり読者に対して複数の世界線を意識させる意図があると思う。本来は無関係であるはずの点と点を意図的に類似させ、そこに読み手の想像力を借りて線を引く。こうして引かれたいくつもの仮想の線はおぼろげながら立体的な輪郭を形成して、マルチバース世界の拡がりを思わせる。

むろん、そのマルチバース世界とやらは、先述のとおり現実世界に起こり得た無数の可能性の一つに過ぎず、突拍子もない異世界は作者の想定の埒外であることは付言しておく。

個人的には、チィおばさんって、リツさんとかいう異世界事情に通じる謎の存在によって、訳ありで今の世界線に連れて来られた別の世界線の大人になったアカネなんだろうかとか、勝手に想像を膨らまてみたりして。だってアカネのお父さんも、チィおばさんといくつ年齢が離れているか正確には記憶していないって、怪しすぎるじゃん。笑

まぁおそらくそれは深読みしすぎなんだろうけど、カマドウマとリツさんの関係性といい、柏葉氏は説明描写をあえて排除する傾向があるため、そういう読み方を読者にされることは想定の範疇というか、むしろ楽しみながら書いてるような気がするのは僕だけだろうか。


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