【読書感想文(3)】ヘーシオドス『仕事と日』
古代ギリシアの吟遊詩人ヘーシオドス(以下、ヘシオドス)による本作は、怠惰な弟に労働の意義や農耕・航海の正しいやり方、人生訓などを説く教訓叙事詩である。
どちらかと言えば、現代の「啓発本」や「ハウツー本」に近く、誤解を恐れずに言うと「これも叙事詩なんだ」というのが正直な感想だ。
特に僕の場合、同時代に活躍したホメロスを先に読んでいたことから、「叙事詩=英雄叙事詩」という先入観が強かったことも大きい。
ともあれ、まずは本作のうち「啓発本」的な内容を列挙していきたい。自分への備忘録の意味もあるので、興味がない人は適当に読み飛ばして下さい。
ざっと以上のような感じだが、現代人からすれば「人として当然じゃね?」という項目も多い。しかし、単に「〜するな」と言うだけでなく、きちんとその根拠を併記している箇所も結構あり、詩人というわりには現実的な思考回路で、どちらかといえば哲学者のようにも感じた。
個人的には、読んでいて中国の孔子を思い出した。孔子の思想は儒教となり、アジア文化圏に大きな影響を及ぼしたわけだが、その思想は「目上の人には挨拶をする」といった礼儀作法を説いたものである。
これは、今となっては当たり前過ぎてイマイチ凄さが伝わらないかも知れないか、逆に当たり前のレベルまで世間一般に浸透している事実こそ、孔子の凄さの証明とも言える。まして当時は百家争鳴の春秋戦国時代、殺して奪うのが当たり前の世界だから、なおのこと凄い。
翻ってヘシオドスの時代はどうだろう。僕は孔子の時代とそう大差ないと思う。それは、ホメロスの作品で、ギリシア軍が至るところで重ねた略奪を誇らしげに語っていることからも窺い知れる。
そんな時代にあって「暴力はいけないよ」「他人の財産を奪ったら駄目だよ」と堂々と言えるだろうか?自国の王様だって虎視眈々と侵略を企図していたかも知れないのに。古代ギリシアはその辺は存外、大らかだったのか?
また、それだけでも凄いのに「暴力は振るう者にも災厄をもたらす」と鋭い指摘も同時にしている。
これは本当にその通りで、おそらく当時は「侵略戦争」や「肉体的な暴力」に対する「復讐」を念頭に置いていたのだろうが、例えば現代でも「暴力」には「刑罰」が加えられるし、「ハラスメント行為」にはそれ相応の「社会的制裁」は免れない。
ヘシオドスは、確かにホメロスのように華々しくはないけれど、現実に対する鋭い観察眼と指摘力は群を抜いていると思う。
閑話休題。次は「ハウツー本」的な内容のうち、農耕に関する部分について。
続いて、「ハウツー本」的な内容のうち、航海に関する部分について。
以上のようであるが、一見して明らかに航海より農耕に関する項目の方が多い。
これは、訳者の松平千秋氏が「解説」で指摘しているように、ヘシオドスの父親が海上貿易に失敗した苦い経験から、荒れ狂う海をわざわざ渡る航海はヘシオドスにとっては極めて危険な投機のようなもので、およそ実直な人間のすることではないと考えていたからだという。
なるほど、確かにトロイア戦争後に10年も帰郷出来なかった人もいるくらいなので、大いに分かる話である。
さて、続いては「人生訓」について。ここから少々迷信めいた記述が多くなるが、それが当時の常識なのだから仕方あるまい。
最後に「日の吉兆」について、これはもうほぼ迷信だし、当時の月日の数え方がイマイチはっきりしないため、記載の日付も正確でない可能性が高い。
さて、ここまでざっと概観してきたが、松平千秋氏曰く、この程度の知識は古代ギリシア人にとっては常識で、あえて本叙事詩から学ぶまでもないものだったろうと指摘している。
ゆえに「ハウツー本」的な鑑賞方法ではなく、ホメロスのような華々しい「英雄モノ」と一緒に、いわば同時上演プログラムとして組まれた、お堅い「教訓モノ」という位置付けで親しまれてきたのだろうかと想像されている。
これについては、画期的な新資料の発見でもない限り今のところ推測の域を出ないが、僕には果たして本当にこのレベルは古代ギリシア人にとって常識だったのだろうか疑問が残る。松平千秋氏の指摘は尤もだが、少し都会の知識人的な見方に偏ってはいないだろうか。
というのも、僕も仕事をしていて思うのだが、どの業界においても「常識」とされる知識ほど、なぜかマニュアル化されていなかったりする。つまり「知ってて当たり前でしょ」ということだ。
だから、うろ覚えで「あー、なんだったっけなー」とかいう場面でも、下手に聞けない。聞いて「そんなの常識でしょ」と言われるのが怖いのだ。
そんなことで悩む人が古代ギリシアにも同様に存在して、そうしたニーズにお応えするための「ハウツー叙事詩」として人気があった可能性も、万に一つはあるかも知れない。
まぁそれは冗談として、僕はそこそこの田舎に住んでいるので、農業従事者らの会話を耳にする機会も多いのだが、彼らの会話は基本的に「自分のやり方はこうだ」とか「いや、こっちのやり方のほうがいいぞ」といった具合に進むことが多い。
確か、細田守の映画『おおかみこどもの雨と雪』でもそんなシーンがあったように記憶しているが、つまり人や地域や年代によって、同じ作物を育てるにしても方法はいくつもあって、基本的にそれぞれ自分のやり方が一番だと信じているということだ。
翻って、本叙事詩を聴き終えた人々は、おそらく酒場なりで感想を語り合ったことだろう。ヘシオドスともなればそれなりに大きな町で口演されていたと思うので、周辺の村々から不特定多数の人々が集まって、話に花を咲かせたに違いない。
「ヘシオドス先生はこう言っていたけんど、オラの村では違うだよ」
「いやいや、どっちも違う!オレっちの村のやり方が一番良いに決まってる!」
「馬鹿だなぁ、そんなの(以下略)」
こんなふうに、酒を片手に夜通し人々が語り合ったことは、果たして無かっただろうか。こうなるともう想像を超えて妄想の域に突入せんばかりだが、あるいはこうした交歓の場が自然と情報交換の場となることで、地域の農業振興の一役を担っていたのだとしたら、ヘシオドスもきっと喜んだに違いない。
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