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フェイクは 何故いけないかって?

フェイクは何故いけないかって?
建築の話です。フェイクニュースのことではありません。
建築の若い大学教授と話をしていて、「国立競技場」で隈研吾氏がやった木のデザイン、木材に見せかけたタルキを、実はアルミ板に木目をプリントした「フェイク」だって、隈さんてサイテーだね、と話したら、その若い教授曰く、
「どうしてフェイクがいけないんですか? アルミなら腐らないし、良いじゃあないですか・・・」
ひっくり返りそうになりました。
 そうか・・私は、コンクリート打ち放しを「化粧をしない美しいモノ」と思って生きてきた。虚飾は罪で、真実は美だと信じていた。ウィーンで外壁を花柄のタイルで装飾するのを、時代が古いと教わって、チャンディガールのコルビュジエの打ち放しの柱を抱きしめてきました。 あれは「近代建築」という、「過去」の様式だったんだ。
生き残りの武士が、伝家の宝刀でスイカを切ったり、脇差でリンゴの皮を剥く若い輩を見て、
今の私の心境だったんだろうなと思う今日この頃です。(文と写真は関係ありません)

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