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[疲労社会]を京都にいる間に読んだので③~自分を求めると消費させられる~

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さて、京都読書[疲労社会]の第三弾。まだまだ全然書くことあるから恐ろしいよなぁ。まぁでも、結局今まで私が言ってきたことをそのままなぞってるだけみたいなところが本当に強いんで、こうやってまとめると伝わりやすいのかーって感じで読んでた感じですね。なんというか、新しい視点!って感じではそこまでなかったのが実感かなぁ。

あーそうそう、書いててちょっと思ったんだけど、去年の年末辺りに國分先生の[暇と退屈の倫理学]を読んだんだけど、なんというか感覚としては結構補完的な存在と言えるのかもしれないなぁ。國分先生は、暇と退屈という状態から社会を見渡してみると、暇と退屈を人間が嫌うから「仕事」や「やるべきこと」・「人生を充実させること」に人間の意識が向いてしまう。この人間の意識をうまく絡めとるのが資本主義みたいな説明の仕方をしていて。一方で、[疲労社会]では、資本主義社会においては、そのシステムを拡張・発展しようとするその源泉として人間の活動や意識を消費していると説いている。その結果として、「仕事をしていないこと」だけでなく「現状維持をしている」ことすらも良いことではないというプレッシャーを与えることで、人間の活動時間のほぼすべてを仕事に向かわせようとしているとした。どちらも、結果的に資本主義社会が消費させる側、人間が消費させられる側としての社会構造を暴いている、という意味で同じような結論に至る。

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