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【製本のある暮らし】僕の本には耳がある。





綴人の note にお越し頂き、ありがとうございます。
ほんの少しお付き合い下さい。^_^




6月の個展以来、なにか焦りの様なものがあり、自分を見失っていた気がしていました。ようやくそのことに気づくことが出来ました。



どうも最近本を読まなくなっていた、というより活字を見るのが億劫になっていました。自分にとって活字を読む行為は、花木に水を与えるようなもの、いわゆる栄養ですね。太陽の光だけでは植物は育たない(自分にとっての太陽は本や作品の制作・個展など)、どうしても水(自分にとっての水は読書)は必要です。二つがあって光合成で栄養が作れるのですから。

で、どうしてその事に気が付いたのか?、それはほんの些細な私の苛立ちでした。本当につまらないことでかみさんに対し、「そんなの知らないよ!!」と語気を強めてしまったのです。二人だけの夕食を会話の無い味気ないものにしてしまいました。(自分に原因があるのに・・・)

何かに苛立っていた自分。職場の人の他者に対する負の言葉に、知らず知らずのうちにストレスの沼に引きずり込まれているのでは?、と感じたのです。そうすると自然な流れとして無意識に(外に生活費を求めない環境があれば、自宅で仕事が出来れば・・・)と思い始めます。そんな焦りが「そんなの知らないよ!!」につながったのでしょう。かみさんには申し訳ないことをしました。



何となくです。 何となく本屋さんに足が向いていました。
私の潜在意識はちゃんと答えを捜してくれていました。いま自分に必要なもの、忘れているものは何なのかということを。
並んでいる本を眺めているうちに、無性に活字が読みたくなって今日の一冊を手に入れました。

ああぁ、これだ!、自分は心の栄養不足だったんだという事に気づいたのです。そしたら本の内容が心に沁みて来て、無性に note で伝えたいことがあって、今こうして文章を書いている次第です。



で、伝えたいこと。

それはですね、僕の本には耳があるんです。



どうせ綴人の言うことだから、「本は貴方の心の声を聞いていて、答えを用意してくれる。」的な変化球を投げてくるって思ったでしょ?

違います。 文字通り耳です。⇩

表紙芯材の厚紙の厚さと同じ長さ分に折り目をつけた背の部分を背の耳と言います。




ブラデル(くるみ製本)ではあまり見られないですが(丸背のブラデルでは耳を作ります)、パッセカルトン(綴付け製本)では普通に見られます。
この耳を作ることを耳出しと言いますが、案外これが難しい作業で、この良し悪しで本の仕上がりが変わってきます。下の画像のペンで指した部分をご覧ください。

ペンが差した部分が背の耳にあたるところです。




画像で、左の黄土色の本と右の黒い本との耳の部分を見て頂くとわかりますが、黒の方は出っ張りがあって、表紙から背にかけて自然な曲面の流れになっていないことが解かります。凸凹して美しくありません。それも味、といってしまえばすむかもしれませんが、作る側としては納得できない事です。量産体制の流れ作業で作ってしまうとこのような結果が出やすいですし、ストレスがあっても然りです。

一冊一冊の声を聞きながら、心穏やかに耳出しをしなくてはいけません。


って、最後に綴人節が出てしまいました。(^^)ゞ





ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
それでは今日はこの辺で。


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