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気仙大工の技術を継承する木彫職人佐々木 淳一氏【第2-1部】

農民から産まれた気仙大工

気仙大工発祥は江戸時代

気仙大工とは気仙地方。あまり聞きなれない地方の呼び名だが三陸では気仙沼、陸前高田、大船渡などのエリアをまとめて気仙地方と呼ぶ。気仙大工の始まりは江戸時代。農民が生活を支えるために建築関係の仕事を始め、出稼ぎ大工の集団として全国的に高い技術力を認められていた。気仙大工は家大工に限らず神社仏閣、建具や彫刻までもこなした集団だそうだ。
気仙地区では気仙大工伝承館が存在し、気仙大工の当時の道具や建物を大切に継承しており、地域に根付いた職業なことは間違いない。

陸前高田気仙大工伝承館
気仙大工が愛用した道具
気仙大工の技術をもって立てた母屋

現在の気仙大工は大工業と木彫業に分かれているそうで、その職人の数もかなり減少をしていると気仙大工伝承館の職人の方の話だ。

そこで今回は木彫業として大船渡で活躍をしてる気仙大工の技術を受け継ぐ木くばり工房の佐々木淳一氏の元を訪れた。今回は長編のために次週も引き続き佐々木氏についてに書かせていただきます。

木くばり工房

木のそれぞれの個性を大切にするのが木彫

木の本来の持つぬくもりを大切にする


私:こんにちは。今回はよろしくお願いいたします。佐々木さんは木彫工芸としてはどのような作品を作られているのですか?
佐々木氏:もう色々いろんなものを作ってから。木ならなんでも。ちょっと見ますか?

そう言うと佐々木氏は立ち上がり奥の作品を見せてくれた。

佐々木氏:こんな感じのものをつくってますね

獅子頭
獅子頭と面

私:すごいですね。まさしく伝統。この技術は本当にすごい。部分部分が繊細なのに堂々としているそんな作品。
佐々木氏:そうですかね?ずっとこれだけやってから、すごいとかすごくないとかわからない。そんなに人と会ったり情報交換したりもないしな。

私:そうなんですね。そういえば大船渡のパンフレットには色を使わない木工作品と記載がありましたが、やはりそれだけではなく、幅広く作られているんですね。
佐々木氏:もちろん、獅子頭なんかはそれだけではいかないですし、内容によりますね。ただできるだけ木のぬくもりは大切にしたいと。木の種類によっても色も柄も変わってきたりして、同じ種類の木でも場所によって色も違う。折れたり、ちょっと腐ったりとかも全部その木の個性。それをいかしてあげないと。そこが木彫の良さでもあるので。これなんか折れた場所をそのまま使った。

木の折れた場所を生かした木彫の花瓶

私:確かに、すごくかっこいいですね。折れた場所さえ木の個性。
佐々木氏:そう木の個性。みんな個性を生かしてあげる

なんとも深みのある色。この木彫は確かに木のぬくもり、個性を生かされて本当に素敵な木彫花瓶になっている。ただの折れ木がこうも風情をもてるものなのか?
そんな佐々木氏の作品だ。

私:なるほど。確かに、この黒天神の色も木の色ですか?
佐々木氏:それは色を入れたんです。上からの色を塗るのではなく、色を木にしみこませて色を入れたんです。
私:それで木のような感じが…
佐々木氏:そう。やはり塗るよりも木のぬくもりを大切にしたいんですね。
私:なるほど、塗るとか塗らないではなくできるだけ木の素材のやさしさを。
佐々木氏:まあ、そういう感じですね

黒を染み込みせた木彫の天神

道具となった木が記憶に残る

佐々木氏:この臼もそう。これの木の傷の部分。この木の痛みもこうしてみるとすごく温かみのあるものになる。
私:確かにですね。個性ですね。本当に納得できます。

木の傷をそのまま生かした臼

佐々木氏:これはこの木から生まれたんです。

臼が生まれる前

私:え?基本は全部覚えているのですか?どの木とか。
佐々木氏:はい。だいたいは。人の名前は覚えられないですがw
私:それは私もw
佐々木氏:自分で木をとりにはいかないので。これも電線を張るのに邪魔な木になってしまって、もったいないので使わないかと話があって。それをこう臼にしたんです。そんな感じでどの木がどういう経路でここにきて、何になったか?は記憶しちゃうんですw。
私:全部。 
佐々木氏:そうですね。

私はあっけにとられてしまった。まさか木彫の仕上がり作品は覚えてはいるだろうけど、その材料の木を…覚えているとは。
この人は…。

職人 佐々木淳一氏

人が作ったものはきっと作れる

私:色々見せていただきありがとうございます。木彫初めてどのくらいになるんでしょうか?
佐々木氏:35年くらいですね。
私:ちなみに今御歳は?
佐々木氏:65歳
私:なるほどですね。始めたきっかけは?なんだったんですか?
佐々木氏:妻のお父さん、つまり義理の父がここで木彫をやっていて。
はじめは普通に建築関係を地元でやっていたのですが、義父の仕事が忙しくなってきて、少しずつ手伝うようになって…最初は土日とかだけ。その頻度が高くなってきて。で。義父の仕事はかっこいいなーと思い始めて。そういう生き方もありかな?と。まあ、最初はお金のなくてw本当に大変だったw

佐々木氏は笑った。本当に曇りのない笑顔だ。
大変だったが今は本当にその人生の岐路は正しかったと実感している笑いだ。

佐々木氏:ただまあ、自分で作ったものは自分で売っていいと。お金がないからガムシャラに色々試してつくってきましたよw

私:最初はどんなものを?
佐々木氏:最初は本当に難しいものなんてできなくて。木彫の皿とか花瓶とかそんなものを作ったりしていました。義父の仕事を手伝って。時間を見つけて皿とか作って。作ったらすぐ売って生活費に。そんな感じでした。
私:それでもすぐできるのがすごい。器用なんですね。
佐々木氏:全然不器用で。ただ昔は本当にこの街は何かほしくても手に入らなくて。まず売ってない。でも人が作ったものなら買えないけど作ることはできるんじゃないか?と思っていて。皿とかバイクとか椅子も机もなんでもやってみる感じでした。
私:バイクw?
佐々木氏:廃材置き場から色々部品探してきてw
私:それでつくるw?
佐々木氏:はい。お金ないからw
私:w。いやそういう問題ではなくw

職人佐々木氏の誕生

私:今のような獅子頭などをつくるようになったのは?どのくらいからですか?
佐々木氏:平成6年に義父が突然体調を壊して、他界してしまいまして。そこからですね
私:なるほどですね。そこからご自分が主体で木彫の仕事をされることになったんですね。もう数年でそこまで技術を。
佐々木氏:そんな技術ないですよ。義父の仕事も技術もすごかったんです。
そんな簡単にはいかないですが、仕事の相談はありますし、途中の仕事もありましたし、義父の名前を汚すわけにもいかないので。それを投げ出すわけにもいかずに。もう必死に必死になんとかこなそうとただただがむしゃらにやってきた感じです。もう。本当に必死w
私:いやーその覚悟は本当にすごい。そうか義父がもう手掛けていたものや仕事を受けていたものもあったんですね。
佐々木氏:もう必死w突然だったから。
倉庫に面白いものあるのですが見られますか?
私:はい。是非。

倉庫へ向かう佐々木氏

受け継いだ仕事は1.5メートルのかまど面

佐々木氏に倉庫を案内してもらい中にはいると本当に色々な木彫作品が合わられた、その中で何よりも驚いだのが1.5メートルの特大のかまど面だ。

 木くばり工房倉庫

私:なんですか?これ?これも佐々木さんが掘ったんですか?
佐々木氏:これが義父がなくなったあとに作った作品で受け継いだ仕事。
私:これを途中から受け継ぐ?
佐々木氏:いえ、完全に僕が初めからやった仕事です。相談は義父の代に受けていたものなんです。もう必死で。

1.5メートルのかまど面
かまど面正面

このサイズで何という細かい再現性とそして迫力だ。シワひとつ、表情ひとつ。輪郭。どれをとっても圧倒される。これを一人で。受け継いだばかりの佐々木さんが作ったのか。なんという面だ。シワひとつ入れるだけで私であれば途方にくれてしまう。

これが気仙大工の技術を受け継ぐ職人佐々木淳一。
しばらく僕は言葉を失ってただただその作品を眺めていた。


次週に続く・・・・

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