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運命って行いでどれくらい変わるんだろうか『荒地の家族』佐藤厚志

それはあなたが悪いでしょ。
という言い方がある。
あのときああしておけば(ああ言っておけば)……。
と思うこともいくつもある。

東日本大震災とその後の生活を描いたこの小説を読むと、そういうのって錯覚なのかもしれないな、という気がしてくる。

震災、流産、病死、は主人公の行動・努力とは関係がない。
流産がきっかけで離婚した二人目の妻についても、結婚を続けていたら幸せだったかというと、ちょっと分からない。
複数の登場人物が呟く「なぜ私なんだ……」。
これに尽きる。

主人公がワーカーホリックで家庭を顧みない。
友人がやんちゃで飽きっぽく、しょっちゅう仕事を変える。
こういうことが何かの原因になった可能性はあると思うけど、
震災さえなければ
なんとなくやっていけたんじゃないか。
震災による心の傷がなければ、それなりにバランスをとれたんじゃないか。
この人物はこのときこうするべきだった、というのはあったとしても。
降りかかる不幸な事件の中で、それが本当に運命を変えただろうか。

全員が震災で何かを失い、元には戻らない。
元の景観が分からなくなる大きな防波堤を立てても、記憶が消えるわけではない。
元に戻るって、いつが「元」なんだろうか?
私はこの主人公たちに「それでもなんとか前を向いて」とは言えないな。「そのやり方は間違っている」とかも。

ここでなんとか前向きになれる人は心から尊敬できるし、いい話として記事になったりもするだろう。でも、そんなスーパーマンばかりじゃない。
クローズアップされない(ニュースを消化する私たちに悪い味つけの)人生もたくさんあるはず。
そういうのが静かに語られる小説だった。

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