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『呑み込まれた男』を読む(ピノッキオな秋・3)

 エドワード・ケアリー(古屋美登里=訳)『呑み込まれた男』(東京創元社、2022年)
 ピノッキオな秋、次はスピンオフなこちらを。主人公は松の木からピノッキオを創り出した大工ジュゼッペ。大魚に呑み込まれた彼は、魚の腹の中で何を考えていたのか。航海日誌に書かれる男の人生。『ピノッキオの冒険』では触れられなかった部分が取り上げられ、想像力豊かな物語になった。
 原作では陽気なお爺さんだったジュゼッペが、ここでは芸術家肌で内省的な老人に。孤独な彼は父親との確執を打ち明け、出会った女性たちを思い出し、自分が生み出した息子ピノッキオへの愛を語る。暗闇の恐怖の中、日誌に言葉を綴りオブジェや絵画創作に励むジュゼッペ、そうしないと闇に呑み込まれ狂気に陥ってしまうかのように。実際、物語が進むにつれジュゼッペがどんどん精神的に不安定になっていくようで…。この展開がスリリングだ(タイトルの「呑み込まれた」は魚だけではなく闇にもと考えるのは、うがち過ぎかしら?)
 解説で訳者の古屋さんも指摘されているが、「命を創る」(創造する)ことが、この物語の重要なキーになっている。ジュゼッペによるピノッキオの創造で連想されるのは、シェリー『フランケンシュタイン』(これも解説にあったが、ケアリーも『ピノッキオの冒険』を読んでフランケンシュタインを思い出したとのこと)。科学者ヴィクター・フランケンシュタインは人造人間を生み出すが、その醜さを嫌悪する。

シェリー『フランケンシュタイン』(光文社古典新訳文庫)

 もう一人思いついたのは、『鉄腕アトム』の天馬博士。彼は、事故死した息子に似せたロボット・アトムを作るが、アトムが人間のように成長しないことに気づき嫌い始める。
 ジュゼッペ、ヴィクター、天馬、3人に共通しているのは自分の創造物への嫌悪を一度は経験するところ(理由とその後の愛情の持ち方に違いはあるけど)。それが創作に付随する自己嫌悪や恐怖心を表現しているようで、興味深い。
 エドワード・ケアリーは初めて読んだ。暗く不気味な世界に「鬼才」ぶりを感じた。一方、この物語には著者によるイラストやオブジェが多数収録されていて、それが良いアクセント(物語を理解する助け)になっている。エンタメ感もあり読んでいて楽しかった。

『呑み込まれた男』の帯文


 

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