はじめて仕事を受けたときのこと。
初めての受任。
自宅で開業して数ヶ月。
「問い合わせ来ないな・・・問い合わせフォームぶっ壊れてんのかな」というお約束を順調にこなしながら、事務所サイトの修正を進めていくと、月に数件の問い合わせが来るようになった。
サイトの構成はなるべくパーソナリティを売るような内容を意識した。他に売るものがないからだ。せめてどんな社労士かイメージが湧くようにするくらいしかできない。
事務所サイトとは別に、障害年金の専門サイトを作ることにした。これが後々の障害ねんきんナビにつながっていく。障害ねんきんナビは最盛期には1日15万PVにまで大きくなった。
コンテンツは基本的な用語の解説で、用語の解説ページを作っていくと、専門用語を自分の言葉に置き換える必要が出てくる。そうでないと単なる丸写しになってしまうからだ。
その過程でインプットとアウトプット両方をすることになるので、勝手に必要な知識が付いていくことになった。ページを量産することは少なくとも当時はSEO的にも効果があったはずなので一石二鳥だった。ただし「Content is King」という言葉がある通り、質の低いページを量産しても意味がない。
そうこうしているうちに、ついに会って障害年金の相談をしたい、という依頼者候補が現れたのだった。
初めてのご依頼者のことは今でも覚えている。
都内の方で埼玉からは行きづらい場所だったんだけれど、もちろん喜んで伺った。もちろん平日は仕事があるので行けるのは日曜日だ。
最初の面談はご自宅だった。精神障害の方で外出が難しかったからだ。お母さんも同席されていた。
自宅に上がるとき、ちょっと緊張した。法人営業しかしてこなかった自分にとって、まったく見ず知らずの人の家に上がるのは初めての体験だったからだ。こんな簡単に上がってしまってもいいのかな、と思った。
あれから数えきれないくらい、自宅訪問で面談をしてきた。
どういうわけか「猫がいるから」という理由で玄関までしか上げてくれず、「寒いから」という理由で玄関にカセットコンロを持ってきて、やかんでお湯を沸かしながら面談したこともあった。カオスである。あのやかんは効果があったのだろうか。依頼にはならなかった。
一通りの説明をし「お願いします」と言われて、ついに初めての仕事を受けることになった。幸いなことに病歴はオーソドックスなもので、年金加入歴や書類入手の困難さもなく、円滑に進みそうなケースだった。
唯一の懸念していたのは、会社員でもある自分がいつ請求手続きに行くかだ。
結局、総務人事でもあったので、会社の社保手続きに行くタイミングに合わせて一緒に依頼者の障害年金請求をした。そのため初めての障害年金請求は中央年金事務所(東京都中央区)だった。
2件目はいきなり再審査請求の依頼だった。
2件目の依頼は埼玉県内の方だった。自身で審査請求をしたけれども棄却となったので再審査請求を依頼したい、との内容だった。
当たり前だが、再審査請求なんかしたこともない。どうやってしたら良いかもわからない。年金事務所に聞いてもよくわからない。
しかし相談者の話を聞くと、確かに主張はうなづけるような内容でもあり、認められても良い気もする。認められても良い気はするが、実際に認められるかどうかはさっぱりわからない。しかしどうしても依頼したいという。
これは大変なことになった。
大変なことになったが、この仕事をしていく以上、審査請求、再審査請求を避けて通ることはできないとも思っていた。
国民年金、厚生年金保険の原処分をしているのは厚生労働大臣であり、国にほかならない。国の処分が不服申し立てによって覆って、受給できなかった方が受給できるようになるならば、それは素晴らしい仕事じゃないかと思った。そしてこれは今もそう思っている。
とりあえず厚生労働省に電話して、書類を送ってもらう。再審査請求書は決まった書式があるが、趣旨及び理由は別紙でも良いらしい。しかしどのように書いて良いかわからない。何せコネも伝手もないのだ。ぎりぎり自分のセミナーに誘ってくれるような社労士の方はいた。(つまり自分はヒヨコである)でもその社労士の先輩が障害年金を扱っているような節はない。
結局どのように解決したかは忘れてしまったが、いろんな書籍を読んで勉強して再審査請求をしたことは間違いない。
はじめての再審査請求の結果は処分取消だった。