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町田康『入門山頭火』

 町田康著『#入門山頭火』読了。

 近所のブックカフェ#隣町珈琲 にて、#平川克美 さんとの対談形式で #町田康 さんがこの本の話をしたのは先月末、6月26日。エンターテイメントと感じられるくらい面白いトークでしたが、本の方は鬼気迫るものがありました。

(以下敬称略。イベントトーク踏まえての讀書感想文です。)

 この本は、自由律俳句の俳人、種田山頭火について、その作品と人物を町田康独自の視点から徹底的に考察した本なのですが、その独自の視点とは「人が生きていくのに必要不可欠な銭金と理想の文芸との切っても切れない関係とそのどうしようもない両立不可能性」をつぶさに見てゆく視点です。

 巻末の方に書かれた文章に、町田康の山頭火を語る立ち位置を読むことができると思います。

「行乞しかない→行乞は嫌だ。こんなことは一日四十回くらい俺らの心のなかで起こっているできごとだ。だけどそれを言葉と行いにするということは普通は出来ないことで、そしてそれをやると人に嘲られ、罵られる。これこそが行乞の矛盾であり、文学の矛盾であると「俺は思うぜ夏の寒い日」。」p.283

 少し説明を加えると、行乞とは、乞食をして歩くことで、山頭火は、子供の頃に体験した母親の自殺をはじめとして、父親の放蕩、家の没落、弟の自殺、離婚、出家を経て、「大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出」、世に知られる多くの名作を作句しました。
 しかし、乞食をするのは、やはり過酷な道行きであり、それをなぜわざわざするのかという問いは多くの人の胸に去来する問いです。それに対して、町田康は「俺ら」だって乞食なんて嫌なんだよ、嫌だけど行乞流転してよい句を作るしか生きる道はなく、とは言っても歳とるごとに行乞が体にこたえ、捨てたはずの家や生活に戻りたくても忌み嫌われ、行乞するよりみじめになるという苦しい堂々巡りだと言っています。
 ここで、町田康が一人称の「俺ら」で語るわけは、ただ山頭火の心情を代弁しているだけでなく、町田康自身も「平成の初め頃、乞食になろうと思った。その頃、俺は稼ぐ能がなく、女が働いて俺は日中ブラブラしていた。当然、諍いになって、嫌になった俺は家を出た」過去があり、歩き歩き続けた時に「このように流浪するわけは、このように歩き続けるわけは、」という句がずっと浮かんで流れていたことが思い出され、山頭火の道行きの後ろ姿に、もう一人の自分自身の姿を見ているからなのです。

 そもそも、隣町珈琲での対談の冒頭でも言っていましたが、町田康は、相手が例えばモーツァルトのような楽聖であろうと大天才であろうと、神聖化や特別視するのでなく、自分達と同じ人間と見るべきで、それゆえに本の中で山頭火のことも「ヒモ生活のバンドマン」になぞらえたりして、前半生を追ってゆきます。

 更に言えば、文芸のために様々な物や人を犠牲にする生き方に町田康はどこか厳しく「浸ってんじゃねぇよ」「偉そうにしてんじゃねぇよ」「今更甘えんなよ」と言わんばかりの叱咤激励を周囲の人々の「代弁」として挿入している気がします。

 それでは、なぜ、山頭火において、行乞と文学とが言わば不即不離なセットになったのか、そこがこの本を理解するにあたり最も手強い点です。

「自分が理想とする文芸の形がある。けれどもそれは現実によって阻まれる。ところが理想の芸術という尖塔は安定的な現実がないと崩れてしまう。
 しかし理想の芸術はある意味現実の否定である。 
 これはどう考えても両立せず、やればやるほどそのことを思い知ってしまって、これを解決するには死しかねんじゃね?的な隘路にはまり込んでしまったようにみえる。
 文芸と銭はこのように切っても切れない。」p.33
「つまり文学などというものは根底があってこその表面的な遊戯であって、地に足がついた者でないとgameに参加できぬのだ。
 しかし自分はその根底を自ら破壊してしまった。これは自分のせいではないが母は自殺し、父も悲惨な最期だったし、弟は首つり、それらを見届けた祖母は絶望のうちに死んだ。失敗した。家の存続にもう少し力を尽くせば結果は違っていたかも知れない。
 とそんな思いもあった。しかーし。
 人間というものはそうなかなか考えを変えられるものではなく、「とは言うものの」という考えが常に頭をもたげこころのなかでふたつの考えが鬩ぎ合う。
 これがすなわち、解くすべもない惑ひ、の正体なのである。」p.127

とここまで読んで、わかるようなわからないような、複雑な気持ちになります。町田康がおのれの過去について「その頃、俺は稼ぐ能がなく、女が働いて俺は日中ブラブラしていた。」と言い切って、だから乞食になろうと思ったんだと言うなら、スッパリ潔くそうなんだと思えるけれど、山頭火の気持ちはやはり山頭火にしかわからない部分がどうしても出て来てしまいます。

 ただ、傍から見て、大まかに言うならば、山頭火は、(理想の)文学と(現実の)生活の両立不可能性を背負って、生活を捨て、文学に生きる選択をした人なのであり、その境地で書かれた作品が山頭火の文学だということなのだと思います。
 山頭火は今でいうアルコール依存症の問題を抱えていて、それさえなければ人生はかなり違ったものになっただろうけれども、それがなかったとしても、上記のような「解くすべもない惑ひ」を抱えていました。そして、この「惑ひ」は現代の自分達にも少なからず心当たりのある「惑ひ」であるように思います。

 確かに音楽や芸術や文学など様々な文芸の営為がなければ、この世はあまりに味気なく、生きている意味が感じられなくなるほどなのに、それらをするためには生活基盤という「根底」に「足をつけ」なくては文芸どころかそもそも生きていけないという問題があり、文芸が先か生活が先かという人生上の問題をこの本は突き詰めて語っているものと言えます。
 思えば、巻頭の方でも、「文芸に限らず芸術というものは銭が儲かるものではない」「そもそも芸術などというものは生活が安定していて初めてできるのであって、食うや食わずでは成立しない」と書かれており、元パンクロッカーであり、芥川賞作家であり(他にも数多の文学賞受賞)、(少なくとも)三作品が映画化され、作家として押しも押されぬ大成功を収めた町田康が、このように口を酸っぱくして書いていることに文芸そのものが抱える不条理、そして文芸を志す者の足元に広がる深淵を感じます。

 それは別にして、山頭火に関しては、私自身が感じたこともあるので、それについても触れておきたいと思います。
 本の中で読解される重要な句、

「分け入っても分け入っても青い山」

について、この句を読む度、私はとても美しい句、美的な句、もっと言うと観念的な句だなと思いました。美学と哲学をかじった者として言うなら、古代ギリシアのプラトン哲学で言う「イデア」を想起させる句だと思います。
 町田康も指摘している通り、青い山は、遠くに見るからこそ青いのであり、分け入ったら山肌の茶色や緑が見えるはず。それを分け入っても分け入っても青いとはどういうことか。町田康はそれを山頭火の人生から読み解くのですが、私自身は、この句だけを読んだ感想として、山頭火という人はそもそもが観念(イデア)の世界に生きている人で、現実に生きることが極めて難しい人だったのではないかと想像します。このことは、行乞をしてもなおそうだったかもしれないと思います。 それに例えば、

「窓に迫る巨船あり河豚鍋の宿」

という句にある「巨船」と「河豚鍋」という、二つの別種の恐怖をそそる崇高な美的な観念の相克。こんな句は、現実の事物をイデアとして観照しているからこそ出てくるんじゃないかと思います。
 そのような人は、観念の世界で陶然としていることこそ幸せで、現実の具体的な物事を処理していくこと、雑事に追われることが苦痛で仕方がなかったかもしれないと思います。そのような人が行乞しながら文学することを選んだとしたら、それはそれで仕方がないような、理解できなくはないなぁと思います。
 しかし、だからと言って、この観念の世界が無駄の産物であり、人を惑わせる諸悪の根源かというとそういう訳ではありません。言ってみれば、言葉はすべて観念でもあるし、真なるもの、善なるもの、美なるもの、真善美も、それに類するすべての抽象物も観念であり、現実の中にこのような観念を見るからこそ、文芸が生まれます。

 最近、脳科学者の中野信子が、「人類、ホモ・サピエンスは芸術をすることにより生き残った。ネアンデルタール人はホモ・サピエンスより大きな優秀な脳を持っていたのに滅びてしまった。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いは芸術の有無であった」ということを語っておられます。この新説が誠であるとしたら、文芸は生活と対立する以前に、時代時代の生活よりも古い有史以前の生存戦略であったのだが、それが忘却されているのかもしれないと思います。

 少なくとも、町田康と山頭火による文芸は、それくらい古い衝動に突き動かされた何かであり、生活に先立つ生存欲求からくるものかもしれない、というのが私自身の漠とした、しかし率直な感想です。


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