白血病、3度目の移植は臍帯血移植
岡山でハプロ移植を受けた後、2ヶ月足らずで高知の病院に帰って来ました。岡山でメンタルが崩壊していたのも落ち着いて、それから2週間余りで退院することが出来ました。
退院してからも毎週のように通院はしていたものの、やっぱり病院で過ごすのと家で過ごすのは気持ちの上で全然違っていたと思います。
岡山で止められていたYouTubeもおばあちゃん家に機材を持ち込んで本格的に再稼働を始めました。
「え〜?またぁ〜?」
そうして2ヶ月が経った頃、8月末の診察に行った時のことです。白血病の再発が分かりました。
あの時、無理やり納得して、あんなにしんどい思いをしてやったハプロ移植なのに再発とか…。私的にはすごくショックでした。
でも肝心の本人はというと。「え〜、またぁ〜?」
そんなに深刻でもない様子。まあ、これだけ再発を繰り返すといちいち落ち込んでてもしょうがないっていう感じでしたね。
今回3度目の骨髄移植っていう話になりましたが、夫は前回やったので、残るは家族で私だけ。ただ、前にも書きましたけど、私は持病のてんかんを持っていて。2011年に外科的手術を受けて、発作は起こらなくなっていましたが、お薬はずっと飲んでいます。
その話を主治医の先生にすると「じゃあ、お母さんはドナーにはなれません」って言われました。
息子は「え〜?前にさくらのでやって、この前お父さんのでやったから、これでお母さんのでやったら完全体になると思いよったに…」って言ってて。でもしょうがないですよね。
それから息子の従兄弟たちに連絡してHLAを調べてもらったりしましたけど誰も合わず…。ハプロ移植は断念せざるを得なくなりました。そうなると残りの手段としては臍帯血移植ということになります。
これも本人に言わせると「移植の方法としてはこれで全部だから、コンプリートやね」って言ってて。YouTubeでも「3種の移植、コンプリート!」っていう動画を出してるし。
臍帯血移植とは
臍帯血移植に関してはあまり説明してなかったので少しだけ説明しますね。
そもそも臍帯血って妊娠中のお母さんと赤ちゃんを結ぶさい帯(へその緒)と、胎盤の中に含まれる血液のことなので、昔は赤ちゃんが生まれた後は捨てられていました。そのさい帯血の中には、赤血球、白血球、血小板といった血液細胞をつくり出す造血幹細胞がたくさん含まれているから、その臍帯血をお産の時にすばやく採取して冷凍保存して、移植の時に解凍して患者の静脈に注射する方法なんですね。
臍帯血移植の大きなメリットは、骨髄移植と違って、HLA(白血球の型)が全て一致しなくて良いことと、出産が終わったら捨てていた胎盤を使うので、ドナーが入院したり全身麻酔をしたりする必要がありません。
患者側は、臍帯血バンクから移植の日取りに合わせて取り寄せればいいだけなので。
ただ、取れる量が少ないので、体の大きな大人には分量が足りないといったデメリットもあります。
幸い息子の体は普通の成人男性よりは小さかったこともあり、臍帯血バンクに連絡すると程なく合致する臍帯血が見つかりました。
移植の説明
移植の説明を受けるために家族全員が呼ばれました。
先生からは今回が3度目の移植で、長期生存率は5%もなく、治療関連死亡は50〜60%あるのではないかと言われました。他にも抗がん剤による嘔気や口内炎、臓器障害、移植後のGVHDの免疫反応、拒絶反応による重大な合併症が起こり得ること、全身状態や臓機能低下を考えるとおそらく最後の移植になるのではないかということなどリスクは高いけど長期生存を得るためには必要であることを書かれた書類を渡されました。
今、見直しても最悪のことしか書いてないです。
その時に夫も娘もかなり動揺してましたけど、息子は全然そんなことはなく。「最悪のことは書いてあるけど、でも終わりじゃないよね、やれることはまだあるから。その少ない確率の方に入ればいいんだよね」って言ってめちゃめちゃ前向きでした。生きるっていうことにものすごく貪欲だったんですね。
人間の3大欲求の一つ
抗がん剤治療が始まって、相変わらず病院食は食べないので家から作って持って行く生活が始まりました。人間、ギリギリのところになると食べる物にわがままが出て来て、急に「あれ食べたい」とか言い出すんですね。
そういえば私もお産の後期の頃に、急に「〇〇が食べたい。買って来て」とか言って夫に買いに走ってもらったりしたなと思い出しました。
でもそんなふうに言えるのも近くにいたからこそですよね。岡山の時はそんなことも言えずただただ我慢していただろうから。
初めてのICU
それまで普通病棟にいたのが、移植の直前にICUに移ることになりました。前回の移植の時はBCRだったし、小さい頃の移植の時は普通病棟の一室を無菌室にしたものだったから、ICUに入るのは初めてです。
オープンフロアだったので、他の人の様子もガラス越しに見えていました。部屋は岡山の時と同じようにトイレは剥き出しでした。私たちお見舞いの人は病棟に入る前に手指消毒をしてインターホンで看護師さんを呼んで、さらに部屋に入る前にもう一回消毒。
患者との間をビニールカーテンで仕切られていて、面会時間も家族2人まで、10分以内っていうことでした。
うちの場合は病院食を食べなかったので家から作って持って行ってたからそれを一日2回。感染予防食ということで調理後20分以上たったものは食べてはいけなかったから、家を出る直前に調理して…。なかなか忙しかったです。
その時に、病棟の看護師さんに「最悪の時、どうしますか?本人さんに確認してください」って言われました。意を決して聞くと「え〜。出来ることはやってもらわんと困る」って言われて。…やっぱり強いですね。
尿管入れられたり、経鼻胃管を入れられたりしてましたけど、岡山の時ほど泣いたりすることもなくて。やっぱり直近で移植を受けたしんどさを鮮明に覚えてるから「まあ、やらんとしょうがないよね」って思えたのかもしれません。
それに今回は岡山の時と違って家族3人が近くにいて時間差でお見舞いに行けたのも大きくて精神的には落ち着いていたと思います。