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『今日の一日に何思う』-10月1日 日曜日-
こんにちは、りぷるです。曇りときどき晴れ。
ここ最近は引越しの準備でバタバタ。アカウント作成早々に間が空いてしまいました。
今の職場での最終出勤を終え実家への帰宅途中です。夜行バスで帰ります。新幹線でも良かったのですがどうにも貧乏性がまだ拭えずに。年齢的にも夜行バスはちとしんどくなってきたのですが、そこは気合いです。
温泉が好きでここ数日通っていました。そこでのほっこりした短いお話。
脱衣所に親子がいました。お子はまだ5才ぐらいでしょう。父親に体を拭いてもらっています。お子が言いました、「ぼく、大人になったら天井に届くんだ」。
屈託なき眼で放たれるその言葉はとてつもなく真っ直ぐだった。大人になった私は違う意味での天井が見えている。正確には見えているというより自ら決めている。
いつから自分の可能性に制限をかけるようになったのだろう。もういい歳だし、学歴がないし、どうせできないし。
できない理由は山ほど出てくるのに、頑張る理由はひとつも出てこない。そもそも頑張る理由など必要ないのにね。
「できるかできないか」ではなく「やりたいかどうか」。いつのまにか判断基準が逃げ腰になっていた。歳をとり守るものが増えたからだろうか。
何はともあれそのお子の言葉には考えさせられるものがあった。
また別の日には露天風呂で声をかけられた。
「良いお湯ですね」、ちょっとたどたどしい日本語。
「そうですね」、他に客はいなかったしちょっと話してみたくなった。
続いて私が言う、「天気を良くなってきましたね」、曇り空の隙間から日が差していた。
そこからお互いちょっとずつ歩み寄るように会話を続けていく。一歩ずつ、一歩ずつ。
彼はアメリカと日本のハーフらしく普段はロスに住んでいるが旅行で日本に来ているらしかった。どうりで若干たどたどしかったのだ。とはいえ、意思疎通に何の問題もなく流暢に話していた。
しばらく会話を続けると彼が名前を聞いてきた。なるほど、これが噂に聞く欧米式か。というのも、アメリカの人たちは最初から自己紹介をするのではなくある程度会話してから名前を尋ねるとか。
それが嘘か本当かは知らなかったが実際に自分で体験したのだから私にとってはtruthである。
「りぷるです」。私も名前を尋ねた。彼は日本とアメリカ両方の国籍を持っているらしくどちらの名前も教えてくれた。が、アメリカの名前は発音がアメリカすぎて聞き取れなかった。
ロスではテリヤキの店で働いているとのこと。日本にはちょこちょこきていて、いつもスーツケースパンパンになるまでお土産買って帰ることなど話してくれた。
そんなことを20分ぐらい話して、そろそろ時間なので切り上げた。
彼は別れ際「素敵な会話でした、ありがとう」と言ってくれた。
私は「it was nice talking to u」と答えた。
おそらくもう二度と会うことはない彼だけど、出会えて良かった。
そんな出会いを含め岐阜の地を後にし今は夜行バスの中。またこの地を訪れるその日まで、ありがとう。さようなら。