ーあなたの趣味はなんですか?ー 愛機Nikon Fで写真を撮ることです。ちなみに使っているのはリバーサルフィルムというポジフィルムでこれは現像した時点で、、、、えっ、もう何回も聞きましたか?失礼、ついつい何回も話したくなっちゃうんです、だって好きなことですからね ーあなたの癖はなんですか?ー ゴミ拾いです。ここ1ヶ月ちょっとです、ゴミを拾うようになってから。きっかけは些細なことだったんですよ。りぷるという人間について考える機会があってね、このままじゃいけないな、変わらな
我儘か 相性なのか 分からぬが 確かなことは ただただ不快 地元の友達と合わないなぁと思うことが増えた。ワシが幼いのかもしれない、心が狭いのかもしれない、器が小さいのかもしれない。 そうだったとしても、やはり歩み寄ろうと言う気持ちすら芽生えてこないのだから、そこを頑張る必要はないだろう。そうするならば、今好きな人たちに、好きなものたちに、その心と時間を配りたい。
目に見えぬ 縁運御縁 ありがたし 時に足枷 日常茶飯。
こびりつく 記憶と香り いと憎し 時ながむれど 変わらぬ思い
走った、ひたすらに。ぐちゃぐちゃだった。まっすぐになんて走れていない。寄り道、遠まわり、そんなものばっかり。それでも両手を必死に振る。 少しずつ落ちていく、剥がれていく、その感覚がすごく伝わる。 これでいい、このままでいい。今の僕にできることは、ただひたすらに走ることだ。色んなものを抱えながら、手放したくても手放せないまま。そのままに、ありのままに、あるがままに、わがままに。
一年前に退職した職場に遊びに行った。新しい顔ぶれもちらほらいる中見知った人たちと会った。皆久しぶりと声をかけてくれた。先輩、後輩、上司。皆時間を見つけて順番に話をした。特に嬉しかったのは一番お世話してくれた上司が会うなり握手してハグしてくれた。ちなみに、一年前の送別会でもハグしてくれた。短い時間だったけど、たくさんの人の愛に触れた。とても幸せだった。 職場を出て予定もなかったが、なんとなく自然に触れたかった。そのまま車を走らせ海へ行こうと決めた。その時の空。とても心地よかっ
「信頼はしても期待はしない」 冷めたようにも聞こえるこの生き方に憧れる。 人にも物にも環境にも、できる限り委ねたくない。 常に自分にとって「良い」ものであり続けるわけではないから。 全てのものは変わり続ける、もちろん自分も。 その変化を受け入れたい、素直に、摩擦なく、反発せずに。 そうすればきっと傷を負うことも減るだろう。 生きることは好きだ。そんな好きだの嫌いだのの次元ではないだろうが、好きだ。 人と喧嘩するのも好きだ。殴り合いは痛いから嫌だけど、意見のぶつけ合い
捻り出した言葉じゃ味気なくて、頭で考えた言葉じゃ嘘っぽくて、浮かんだ言葉じゃ心細くて。 思いがあるのに、熱意があるのに、形にしたいものがあるのに、霧のように靄のようにただただそこにあるだけで。 じっくり見ようと目を細めて見ても、先は霞んで目の前は灰色一色。 伝える術を、、言葉があるじゃないか。 伝える技を、、体当たり続けろ そもそも伝えたいのか。誰に?どうして? 誰かも分からない誰かに届けようと、伝えようと、本当に思うのか。お前はそんなんじゃない、ただ知りたいだけだ。
全てのことに意味はあって、でも、その意味も実は意味がなくて、選択肢はいくつもあって、可能性もいくつもあって、幾重にも絡むたらればの世界を僕らは生きていて、その数だけ人の思いも気持ちもあって、そう思えたら、人の気持ちもひとつじゃないと知れたら、周りの人に抱く思いもちょっと柔らかくなって、みんな弱くて、強くて、気高くて、醜くて。 縁運金勘感。様々な、色々に、取り囲まれ、めぐまれ、蝕まれ、苛まれ、包まれ、守られ。 何一つ分からないまま生、少しづつ分かったつもりで時間を積み上げ、
同僚(21歳男の子)のご家族がレストランに食べに来た。おばあちゃん、お母さん、弟さん。最後のデザートをその男の子が提供した。デザートを目にした後、運んできたのが孫だと気づくおばあちゃん。制服姿で働く孫を見た時の目、孫の手に触れる時の優しさ、温かさたるや。 それを少し離れた所から見ていた僕は目頭が熱くなっていた。 実はね、僕もたまたま明日おばあちゃんに会いに行くんだ。そのために実家に帰るんだよ。そんな日の前日にこんな光景を見ることができた。何かしらの縁を感じずにはいられない
人を傷つけるってのはこんなにも苦しいものなのね。 こんなこと言うと今まで傷つけたことないみたいだけど、違ってそんなんじゃない。 面と向かって傷つけるって凄く怖いのよ。 こんなことをしたかったわけじゃない こんな思いをさせたかったわけじゃない でも、始まりはそれでしょ。 その覚悟がなかったんだよ、俺には。 俺はちゃんと人を傷つけられた。また一歩成長したよ。 ありがとう、本当に感謝している。 届かぬ思いではありますが、どうかあなたが幸せでありますように。
泣き崩れ、笑い壊れ、感情の渦に飲み込まれる。あゝ、幸。
小澤征爾さんが逝かれる2年前、最後のオーケストラで指揮した映像。85歳車椅子にのって身体も思うように動かない。それでも音を集め世界を作っている。積み重ねたものが物語る「小澤征爾」。演奏が終わったあと涙するその姿に僕も涙せずにはいられなかった。 その人の功績を、人となりを、生き様を、若い世代が語りっている。これが 歴史、繋ぎ、紡ぎ。 羨ましい、そうなりたい。僕はまだ何者かになりたがっている。脱せていない。安心する気持ちとこんなんじゃダメだという気持ち。反する気持ちが共存する
昨日の日記に書いたこの一文を訂正したい。 「僕はどう生きているのか。どんな目をしているのか。その答えは分からない。ただ、ひとつ言えるのは、僕は自分を大切にできていない、ということだけだった。」 違う、僕は間違いなく命を「延ばしている」側の目をしている。それは自分のせいでもあるし半分は時代のせいだ。昔と比べると圧倒的に増えた生の時間、選択肢、圧倒的に上がった安全度。こんな時代に生きていて、リアルに死を隣に感じていくことは少なくとも僕にはできない。だから延びてしまうのは仕方な
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」 エルネスト・ゲバラ キューバの政治家、革命家、ゲリラ指導者。 「ぼくはきっと命を『延ばしている』人間の目をしていて、彼らは命を『使っている』目をしていた。」 「表参道のセレブ犬とかバーニャ要塞の野良犬」若林正恭さんの著書の言葉。 僕はどう生きているのか。どんな目をしているのか。その答えは分からない。ただ、ひとつ言えるのは、僕は自分を大切にできていない、というこ
2024/5/8 一人カラオケに行った。1時間みっちり歌った。録音して聞いてみると思った以上に歌えてなかった。でも気持ちよかった。きっと吐き出せなかった気持ちを歌に乗せて言えたのかもしれない。心地よかった、とてもとても。