スコラーズ③ (オリジナル小説)
4人が逃げ出した先は、廃工場脇の寂れた倉庫だった。路地裏を抜けてひたすら走った先に行き着いたのがそこだったのだからしかたがない。
少年は恐怖からすっかり縮こまり、久美屋は顔面蒼白の状態でひたすら2人の教員たちから顔をそらした。そして数秒後、久美屋はその場にどけ座し、驚いたようにレイチャ―ドが久美屋を見れば、さらに久美屋はその額を地面に擦り付けた。
「申し訳ありませんでした!」
「What’s happening? You helped the boy, right?」
「俺が間違ってた! 今更遅いけど、本当にごめんなさい! 俺さ、両親が共働きで、ずっと愛に飢えてたんだ。中高で心の拠り所となるダチ見つけたと思ったら、たまたまその友人が素行不良だった! 心機一転大学で友好関係を見直そうとしたけど、なかなか馴染めなくて、たまたま入ったゼミでは男性が少なかったからさらに悪化して……。そしてまた中高と同じ種類の連中に近づいてしまったっ!」
久美屋が自らの境遇を語るのを、少年はただだまって聞いていた。久美屋のバックグラウンドは、少年の感じた恐怖を癒すことにはなんの役にも立たない。それでも静かに耳を傾けていた。
「なにもかも俺の過ちだ……」
「アッシュの実験を知っていますか? 6人に3本の直線を見せ、どれが長いか答えさせマス。そのうち5人はサクラデス。すなわち、ダミーたちは答えを指示されていて、わざと間違った答えを言いマス。さて、唯一の被験者はどうなると思いマスか~?」
まさか問いかけられるとは思っていなかったのだろう。久美屋が弱々しげに答えを口にした。
「自信を失ってく?」
「ハイ。それだけならいいんですが、次第にその被験者は不正解の答えを自ら選ぶようになりマス」
「つまり、正しい答えをもってることと実際にやってしまうことはdifferentってことだね~」
「!」
レイチャ―ドの言葉に久美屋が驚いたように顔を上げた。
「ユーは正しさをここにもってマス」
そう言って野原が久美屋の胸を叩く。久美屋がぼろぼろと涙をこぼした時だった。ガアン!と音を立てて、3人のいる倉庫が鈍い音を立てた。 続けて物騒な言葉が扉越しに寄越される。
「あ、お、おれのせいでっ!」
そのままひたすら謝罪の言葉を吐きだす久美屋に、レイチャ―ドと野原が顔を見合わせる。
「どうするぅ?」
「困りましたネ~」
「あいつらぶっ倒すのはeasyけど、we are 聖職者, right?」
レイチャ―ドは困ったように眉を寄せるのだが、一方、野原はキラキラとした目で同僚のブルーの瞳を見つめた。
「ほんとデスカ? なら、あいつらぶっ飛ばしてくダサ~イ!」
「え、でも、僕ら」
「ぶっ倒してさえくれれば後は任せてクダサイ」
「いや、でも」
「いいからやれ」
「はい」
もはやキャラすら放棄して野原が凄めば、レイチャ―ドは肩を小さく揺らし、スマホを取り出してはどこへやら通話をかけだす。
数分後、外からバイクの騒音と怒声が響いてきた。そして、たちまち静寂が訪れる。
「レイチャードセンセイ、いったい何をしたのですかー」
「うんとね、僕のfriend に連絡したのさ。ラウェルチェ族の子孫だからガタイgood だよ!」
「ラウェ??」
「チリ中南部に住む巨人族だよ! 日本に遊びに来てたの!」
不思議そうに少年がレイチャ―ドの言葉を復唱したのを、レイチャ―ドが説明したときだった。ガンと音を立てて倉庫の扉が開かれる。
扉の向こうからは強靭な身体を持つ長身の男たちがニコニコと手を振っているではないか。彼らはそのままレイチャ―ドの方へ向かっていくが、そのたびに地響きが倉庫中を伝わった。困惑する同僚と子供をよそに、レイチャ―ドが巨人に抱き着き、そのまま彼らの言語で会話を始めた。
「あ、野原センセイ、彼らをどうしたらいいかって」
そう言ってレイチャ―ドがある方向を指さす。そこには気絶した連中が山積みされた状態で、4人の巨人族たちに抱えられていた。
「V-battleカフェに連れていってクダサーイ!」
野原が笑顔で答えれば、その言葉を理解できた連中は、なぜ、と首をかしげる。しかし、野原がレイチャ―ドに笑いかければ、慌ててレイチャ―ドは異国から来た友人へと話しかけた。
◇
「今日はレイチャ―ド先生、見かけませんねぇ」
虹村がコーヒー片手に論文を漁っていた時だった。勢いよく、研究室の扉が開かれる。
「虹村先生! 大変です!」
慌てたように入ってきたのは国重である。
「ノックすらしないとは野原先生以上ですよ」
「それどころじゃないんです! スコラーズに挑戦状が寄越されたんです! さらには、我々の仲間を希望するとかいう存在からも連絡が来ていて、しかも、レイチャ―ド先生が同意したらしいです!」
どうしてそうなる、という情報量の多さに虹村が頭を抱える。
「仲間を新たに取る仕組みは採用してませんよ」
「しかし、断れば、我々の身分を晒す、と」
「ハッタリでは? そう簡単にばれないで……しょ」
言いかけて虹村が言い淀む。つい数時間前、自分たちの正体を知っているかのような匂わせをしてきた女がいる。彼女にばれたということは、コンタクトしてきた人物にばれている可能性もあるわけで……
男たちは、苦手とする女の罠にすでに掛かっていることには気づかなかった。
◇
『皆さん、ごきげんよう。はあ、今日は新メンバー紹介しますー』
げんなりした顔のレインボーとそのやる気のなさに、チャットは彼を心配する声や野次る声で充満する。だがそれを気にする余裕はレインボーにはなかった。
『皆様~ご機嫌用~!フィーと申しマス! ミーのキャラ? んー、実験狂でお願いシマス~』
桃色の髪を後ろで結ったキャラクターがニコニコと笑う。女キャラの登場にコメント欄はさらに賑わっていった。
『 スタンフォード監獄実験というものがございマス。一般ピーポーの皆様に囚人役と看守役を振り分け、実際の監獄で役割を演じてもらうのデス! すると、皆様は本当に役に忠実になっていくのでございマス。看守役は実に看守らしく! 囚人役は実に囚人らしく! 囚人の皆様には人権はございまセン! 結果、囚人役は精神を乱した末に仲間内で虐待行為を行い、実験は中止されマシタ! しかし、看守役は実験の続行を望んだのデス! CRAZY AND FANTASTIC! 実験開始後すぐに倫理的問題から中止された実験デース!』
もはやルンルンと語りだしたフィーに、視聴者のコメントは「怖いW」や「狂気W」で埋まっていく。
『私考えました。日頃から犯罪ごとを行っている皆様は強制的にやられる役を体感すると考え及び思考回路が変わるのではないかと! 実験する価値ありマスヨ! さあ、禁じられた実験の続きを再開しまショウ!』
フィーがそう高らかに叫んだ瞬間だった。
画面上に「ゲスト入場」の文字が現れる。
『うわ。なんだここ』
『あれじゃね? Vなんとか』
『いつのまに俺らVバーになったんだよw』
『しらねw なんか気づいてたらなってた的なw』
『中二かよw』
目覚めたらVバーデビューしていたことに何も思わないらしい彼らは、その状況をむしろ楽しみだしていた。そんな彼らは自分たちのキャラが囚人服なのに気づいていないのだろう。
『囚人の皆様!Welcome でございマス!』
『え。看守?』
『おねーさんじゃん! やった』
『皆様には、私の実験に付き合ってもらいマス! シカシナガラ、今時いろいろ厳しくてザマスね……実験前に承諾書を得る決まりなのです……皆さん、実験にご協力願えますか?』
フィーの言葉に男たちはゲラゲラと笑いながら同意する。
『いいけど、せっかくVバーになったんだから喧嘩させてくれよ』
『もちろんデース! 皆様には、あまりにも暴力的かつ倫理的にアウトという理由で中止になった実験をやってもらいマス!』
フィーが楽し気に笑う。それに男たちも、ましてや視聴者さえ高揚し、胸を高鳴らせていた。それが悲劇の幕開けとなるとも知らずに――。
一人、また一人と視聴者が退出していく。彼らは耐えられなかったのだ。あの悲惨で非人道的な実験という名の狂気に。
幕が閉じるまで、スコラーズのチャンネルが閲覧禁止指定されたのは言うまでもない。
◇
あれから久美屋はすっかりゼミ生と打ち解け、少年はある取引を野原に持ち掛けた。すなわち、久美屋の被害届を出さない代わりに、実験という名の拷問に少年の姉に手を出した連中を強制的に参与させるというものだ。それに野原は嬉々として同意したのだから、世も末だ。そして、久美屋のつるんでいた柄の悪い連中は、すっかり丸くなったという。
すべてが落ち着いたように見えて、今絶賛頭を抱える男たちがいた。
『これからよろし~くデ~ス!』
男たちの悩みの種は、ニコニコと上機嫌に笑う一人の女の存在である。
彼女のせいで、彼らのチャンネルは強制停止されるまでに至ったのだが、現代ではそのアカウントも復旧し、なんなら一周回ってあの狂気的なキャラの魅力に嵌った連中が続出したのだ。ほぼ、野原の仲間入りは確定したも同然だ。
だが、頭では理解できても心が抵抗するのだから仕方ない。
虹村、国重が顔を見合わせて項垂れたときだった。 研究室のドアがノックされる。今度はいったい何のやっかいごとか、と虹村が半ば乱暴にドアを開け放った先にはーー
「先生方、ちょっとお話よろしいですかな?」
満面の笑みを浮かべたー-
「「「学長!??」」」
大学のトップが仁王立ちで腕を組んで立っていた。
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