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スコラーズ② (オリジナル小説)

 濃都大学には教授四天王と呼ばれる存在がいる。1人が虹村英。文学教授である。2人目が国重春信。言語学者である。3人目はイギリス出身の教育学者で、名をレイチャ―ド・ロビンソンという。そして4人目が心理学者の狂人、野原恵教授である。彼らは大学内でも有名な教授で、なにかと学生たちによる噂が絶えないでいた。
 その日、野原教授は心理学の実験終わりだった。そして、何気なく今はやりのVバーを見てみる気になったのだが、それが彼女にとっては吉となった。
 なぜなら、同僚を想起させるキャラクターが画面越しでヒーローごっこを展開していたからである。正直笑うなという方が無理がある。
「ふふ~。私って、なんてついてるんデスカー!」
 野原教授はそれはそれは楽しげに一人笑っていた。

            ◇

 虹村の研究室で、虹村と国重が下田のアフターケアについて話し合っていたとき、その研究室の扉がノックされた。虹村の研究室ということで、来訪者自体が珍しいのであるが、なによりもその独特なリズムのノックに、二人は顔を見合わせて固まった。
 たいていは程度の差だが、中にはその正体を告白するかのような特有のドアのノック法を有する者がいる。先ほどのノックは虹村と国重のよく知る人物を彷彿させた。
 とたんに国重が本棚と本棚の隙間に滑るように入り込もうとする。それをすかさず阻止したのはもちろん虹村だ。
「なにしてんですか」
「あの人でしょう?」
「あの人ですね」
「僕、苦手なんです」
「むしろ得意な人なんていませんよ」
 無理やり虹村が国重を引っ張りだせば、それとほぼ同時に研究室のドアが開け放たれた。
「虹村センセ~」
「まだ返事してないんですけど」
 現れたのは、二人が想像していた人物そのものだった。
 野原恵。なかなか二人の苦手とする人物にほかならない。
「私、虹村センセーにご相談がありまして、やって参りマシタ~」
「なるほど、ご相談と。私より国重先生の方が適任ですよ」
「虹村先生? どういうつもりですか?」
「安心してクダサーイ! お二人にご相談がありますノデ~」
 野原が愛らしく微笑めば、虹村と国重はそろってガクリと肩を下す。
「で、ご相談とは?」
 もはやあきらめて、さっさと要件を済ますことに虹村が意識をシフトさせれば、国重も渋々といった様子で野原の様子を伺いみる。それに満足げに笑みを深めてから、野原が口を開いた。
「実は、私、学生の皆様のために、相談教室を開きたいと思っているのでございマス~」
「へえ。いいんじゃないですか?」
「で、ご相談とは?」
 はよ要件をいえと言わんばかりに虹村と国重が野原に詰め寄る。それを交わしながら、野原は口を開いた。
「あ~でも~、役者が1人足りませんね~」
「はい?」
「レイチャード先生がいらっしゃいません~」
「レイチャード先生にも御用が?」
 国重が不思議そうに首を傾げる。それに野原が頷いた。
「ええ、センセイ方はエキスパートでいらっしゃいますよネ。なにせ、トラブルに巻き込まれた少女をレスキュー……」
「「え」」
「……いえ、あまりプライベートなことを詮索してはイケマセンでしたネ。すみません、やっぱりオノレの力で頑張ります」
 そう言って野原が踵を返すのを、慌てて虹村と国重が引き留める。
「野原先生、それはどういう――」
「いえ! 忘れてクダサイ! 絶対考えないで!」
 だが、野原はそれだけ言うと、小走りで虹村の研究室を飛び出した。研究室には顔面蒼白な男2人が取り残されていた。

           ◇

「シロクマ実験とイイマス~! 1987年に、ダニエル・ウェグナー様によって行われた実験デース!」
 午後の講義にて。野原は「シロクマ実験」について説明を行っていた。シロクマ実験とは皮肉仮定理論という別名もある。シロクマの映像を見せた被験者を3グループに分け、1グループにはシロクマのことを覚えておくように伝え、2つめのグループにはシロクマについて考えても考えなくてもどちらでもいいと告げる。そして3つめのグループにはシロクマのことは考えないよう念を押すのだ。結果、1年後にシロクマのことを覚えているのは3つめのグループだったという。人は考えなくていいと言われるほど考えてしまう皮肉な生き物なのだ。
「先生! ということは、相手に意識させるにはあえて『私のこと忘れて』ていうのもアリてこと~?」
 女子学生の一人が問う。それに他も便乗し、恋愛には活かせるのかという話題に広がっていった。それに対し、恋愛への応用法を野原は丁寧に教えていく。その親しみやすさが野原が学生から高い支持を受ける理由でもあった。
「先生も使ったことある?」
 学生の質問に野原が笑って頷く。
「先ほど、素敵な殿様方にアピールしてきましたヨ~」
 野原が答えれば、学生たちはキャーキャーと色めき立つ。そんな学生たちを微笑まし気に眺めながら、野原は講義室の一番後ろの席へと目をやった。
 茶髪の男子学生が顔を伏せていびきをかいている。彼こそ野原のゼミの学生であり、素行不良として職員会議でも話題の上がる存在であった。野原のゼミに入ったのも、ゆるそうだからというのが理由らしい。
「久実屋くん? がどうかしたの?」
 野原の視線を辿ったのか、女子学生がその名を呼ぶ。
 久美屋融。それが彼の名前である。講義室でめったに耳にすることのない名前に、周りも含め本人すらびくっと肩を揺らした。
 そんな学生たちの反応を見て野原は内心ほくそ笑む。視線誘導に、共同注意を成立させ、蚊帳の外の存在に強制的に焦点を当てさせる。そして、一匹狼の意識を刺激するために、わざとクラスメートに彼の名前を呼ばせる。人は自分に関する情報のみを優先的に拾うからだ。
「イイエ~。彼の質問にも関心がありまして~」
「確かに! 気になる!」
「話しかけちゃう?」
 女子学生たちが色めき立った瞬間、久美屋は乱暴に席を立つと舌打ちをし講義室を出て行った。残された学生たちの愚痴を聞きながら、野原が苦々しく笑う。彼こそ野原が救いたい学生の一人だった。

          ◇

「おら、金出せよ!」
「えげつねww」
 厭やしく下品に笑う集団と、そんな団体に囲まれた心底怯え切った少年。恫喝現場であることは見るからにあきらかである。だが、周囲の人物は見て見ぬふりを決め込んで足早に通り過ぎて行った。
 関わりたくないのだろう。その気持ちは久美屋にも十分理解できた。というのも彼だって関わり合いにはなりたくないのである。
 だが、そんな嫌悪する集団の最後列で褒められない現場を黙って見ているのもまさに久美屋自身なのである。
「クミも言ってやりなって」
「うっせ、クミ言うな」
 ぶっきらぼうに、まるでクミ呼びされたことでやる気をなくした風に、必然的に直接的な関わりを避ける。それが久美屋の逃げ道だった。そんなことをしたって、大学にばれれば退学ものであるのは間違いないのだが、それしか逃げる道を久美屋は知らなかった。
 そもそも彼らを裏切れば、久美屋は再び一人になる。
 一人は嫌だ、と久美屋が見て見ぬふりを決め込んだ時だった。
「ぐあああああ!」
 少年の口からおぞましい叫び声があがる。少年の右腕はあやぬ方向に大きく曲がっていた。やりすぎだろう、と真っ青になる久美屋とは逆に、連中は楽し気に陽気な笑い声をあげていた。
 狂気。それを感じた時、久美屋の頭が急にクリアになっていった。そこまでして、この野蛮で冷酷な人間たちとつるむ意味があるのかーー。前の久美屋なら「だってしかたないだろ」と答えていただろう。だが、数時間前に起こったイレギュラーが久美屋の心をひどく揺さぶった。今まで交じり合うことのなかった同級生たち。彼女らが確かに久美屋に歩み寄ろうとしていたのだ。あきらめていたキラキラとした世界を近くに感じた時、久美屋の心は決まり切っていた。
「やめろ」
 久美屋が少年の前に歩み出る。嫌な世界から決別するために。
「あ?」
 瞬間--。
 久美屋に一斉に寄せられる冷たい眼差しに、久美屋の背中から大量に汗が噴出した。そんな久美屋を嘲笑うかのように、ゆっくりと男たちが近づいていく。
「くみさ、やはりなめてんよな」
「てか、ずるいやつ」
 鋭い眼光がいくつも久美屋に向けられる。それは、彼らが久美屋に対して、「仲間」から「敵」と認識を変えたことを物語っていた。久美屋が終わりを覚悟した時だった。
「待って! Wait!」
「いくザマス! イエローリスアタックザマス!」
「なんでそれをっ! Noooo!」
 久美屋の前に、ぽっちゃりした金髪の男性とロングヘアの女性が現れる。見知ったその姿に、久美屋の顔が見開かれる。
「なんだおまえ……」
 「センセ」と掠れた声に被せるように男の一人が低く唸ったときだった。
「Be quiet!!!!」
 とたんに響き渡る英語の怒声に男たちの動きが止まる。瞬間、レイチャ―ドと野原は少年と久美屋の手を引いて走り出していた。

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