『カップの底。溶けきらずに残った砂糖の甘さにまた驚く。』(ショートショート)
「あのさ、わたし口二つあるんだよね。」
春の昼下がり。久しぶりに会った高校からの友人はいきなり打ち明けた。
「わたし食べるスピード遅いじゃん。それが嫌でさ、二つ目の口作っちゃった。これでスピード二倍。」
突然の告白にぽかんとしていると二ヒヒと笑った友人はマスクを顎の下まで引き下げた。鼻、人中、唇。ここまでは高校時代から何度も見慣れている。そしてさらに下の顎部分にもう一つ、小さめの唇があった。
「ちっちゃいんだ。」
「お、気になる?流石に一個目と全く同じものは作れなくてね。小さめだからサブ用だけどね、便利よ。」
「いつ手術したん?」
「あー、去年の緊急事態宣言明けた直後ぐらい?」
そうだ、私達はその辺から会っていない。出かけられるようになってからも積極的に遊びに行くのは気が引けて、遊び盛りの大学生なのにサークル後の飲みも旅行にも行けてない。友達の様子はSNSでの写真投稿の範囲だけしか知らない。
「…なに、興味出てきた?いい医者紹介するよ。割引になるし。」
「紹介?」
「このテのちょっと特殊な手術はやっぱ紹介が一番良いよ。私もリサコからの紹介だし。」
「リサコってあのバスケ部のリサコちゃん?」
「そうそう。耳四つにしてた。仕事効率化だって〜」
私の知らない世界だった。でも確かにマスクが日常的になってから人の顔を見る回数が一気に減った。日頃集まってるサークルでもバイトでも仲良いはずなのにマスクを外した素顔を見るとあれこんな顔だったっけ、とドキッとしてしまう。先月隣の部屋に引っ越してきた大学生。挨拶もするし良好な関係を築けてるけれど素顔ですれ違って気付けるのだろうか。私はお隣さんの顔を知らない。
「なに、もしかしてびっくりしてる?意外とみんなやってるよ。」
「だってさマスク外して生活出来るのなんて多分五年以上先よ。顔の詳細なんてみんな忘れちゃってるって。」
ハッとして周りを見渡す。昨日と同じような暖かい日差し。どこにでもあるチェーンカフェのテラス席。私と同じような大学生が笑いあっていたり、パソコンに向かい合っていたり。日常だと思っていたのに、よく目を凝らしてマスクを外している人を見ると目がほっぺたにもくっついていたり、口がやけに小さかったり普通とは違う配置の人が紛れている。いや、紛れるっていうのは普通とそれ以外の二つが存在するっていうことで、あれ、そもそも普通ってなんだろう。ずっと隠されてる顔のその下に前と違う姿があったとして、長い間見ていない私にその区別が付くのだろうか。
「…なーんてね。これメイクだよ、メイク。最近流行ってんの。本物そっくりで私も別の子にやられた時騙されたわぁ。」
笑いながら気が済んだかのように友人は顎まで下げてたマスクをまた上げた。元通りの友達の顔。口がその下に二つあるなんて想像出来ない。
「だよねぇ、びっくりした。」
分かった途端にそれまでバクバクしてた心臓がちょっと大人しくなった。ドキドキは止まらないけど。
「そろそろ行こか。映画始まるよ。」
友人はそう言うとテキパキと机の上の紙ナプキンやらを片付け始めた。気がついたら私のカップもトレイの上に乗っている。何かやるのもだいたい友人が先で、私はそれにアワアワとついて行くのに必死だ。いつもありがとうねぇ、だからおばあちゃんかって。
今日もいつものように笑いあってお決まりの会話をしながらゴミ箱に向かう友人の後について行くのだった。
(おわり)
2021年4月作成
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