アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク (セレナーデとは② 夜曲とセレナーデとディヴェルティメント)
dot.さんのお店で注文していた音楽×猫のマスクが届きました。
見出し画像は、シロフクロウさん(もちろんぬいぐるみ)にマスクのモデルになってもらいまして、ついでに音楽をきかせているところ。
でも、飼い猫のにゃんは知らん顔ですね。^^
右側で猫が笑っている素敵なマスクです♪
dot.さん、ありがとうございました。
さて、マスクの左の柄は、ご存知モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。その第一楽章の冒頭部分の楽譜が描かれています。
アイネ・クライネ・ナハト・ムジークはドイツ語の原題をそのまま日本語風に発音したもので、訳せば小さな夜の曲、つまり小夜曲(さよきょく)なのですが、この長い名前がそのまま使われています。
このマスクには、SERENADE(セレナーデ)と書いてありますが、セレナーデはナハト・ムジークの同意語です。
モーツァルトの時代、セレナーデは夜に演奏されるための音楽、つまりナハト・ムジーク、夜の曲でした。
従いまして、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークもセレナーデの一つなんですね。ところが、セレナーデとは呼ばれていません。
その理由は、このタイトル自体、モーツァルト自身が命名したものだからではないかと思います。
モーツァルトの器楽作品には、モーツァルト自身によってつけられたタイトルを持つものがほとんどありません。
もともと、モーツァルトをはじめ古典派の作曲家の器楽作品は、タイトルが付けられたものは少ないですし、付いていても後で他の人が付けたものが圧倒的に多いです。
例えばモーツァルトの最後の交響曲ジュピターはあだ名です。
モーツァルトの死後に付けられた名称です。
タイトルを滅多に付けないモーツァルトが付けたタイトルですから、これはもう、そう呼ぶしかない。
なので、長くて大変ですが
アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク
なんですね。^^
ですから、マスクに書いてあるセレナーデというのは、タイトルではなくて曲種のことなんです。
ところで、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークはなぜ小夜曲と訳されていないのでしょうか。
私の推測ですが、夜曲といいますと蘇州夜曲が連想されるからかもしれません。
蘇州夜曲は西條八十作詞、服部良一作曲の歌謡曲ですが、私はあまり詳しくないので、話はそちらにはいきません。
ただ、夜曲のイメージとしては、しっとりとした夜の佇まいを感じます。
アイネ・クライネ・ナハト・ムジークが小夜曲と訳されないのは、夜曲のイメージとは程遠いせいではないかと思っています。
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モーツァルトは他にもたくさんのセレナーデを作曲しています。
当時のヨーロッパは貴族社会。
夜の楽しみのための音楽としてセレナーデの需要が多かったのでしょう。
セレナーデは、室外で演奏された器楽曲でした。
そのためオケの編成も、立ったまま演奏しやすい楽器が選ばれています。
ところで、モーツァルトにはディヴェルティメントと呼ばれる器楽作品があることをご存知でしょうか?
モーツァルトはディヴェルティメントを20曲残しています。
ディヴェルティメントも、セレナーデと同様に、多楽章形式の音楽です。
大きな違いは、セレナーデが室外で演奏されたのに対して、ディヴェルティメントは室内向けの作品だったこと。
Wikipediaによりますと、ディヴェルティメント明るく軽妙で楽しく、深刻さや暗い雰囲気は避けた曲風で、貴族の食卓・娯楽・社交・祝賀などの場で演奏されたそうです。
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話の流れとしては、このあたりでモーツァルトのディヴェルティメントを一つ紹介したいところですが、どれも長いですし、おまけに小さいものでも3楽章もある。いちばん大きなものは7楽章もあります。
ですので、私が作りましたもので恐縮ですが、一楽章しかない短い作品を紹介したいと思います。(って、何を隠そう、この記事は、それが狙いだったのだが)
その名も、心配性のディヴェルティメント。
私は外出先で、自宅玄関の鍵を閉め忘れたような気がして、落ち着かなくなる性分。
心配性ってやつです。
家に帰ると施錠してあって杞憂に終わるのですが、毎度のことです。
心配性のディヴェルティメントは、そんな心配性の私が、モーツァルトのディヴェルティメントを意識して作曲した弦楽合奏曲です。
ディヴェルティメントは喜遊曲と訳されます。Wikiによれば、明るく軽妙で、深刻さや暗い雰囲気は避けた楽しい曲です。
ところが心配性の私が作りますと、「杞憂曲」に変わります。
心配のあまり深刻になったり、やれやれと安堵したりと、曲想が目まぐるしく変わる曲。
なので「杞憂曲」なんです。ダジャレです。^^
ぜんぜんモーツァルトじゃないところは、私の個性ですので、それでもよろしければ、どうぞ聴いて下さい。