うそ泣きがウソかどうかはどっちでもいい
子、突然の「おなかいたい」
保育所からの帰り道、わが家の3歳児と一緒に歩いていると、直前までは何ともない様子だったのに急に「おなかいたい」と言って立ち止まることがしばしばあった。
「え?さっきまで普通に歩いてたよね?」と思いながら渋々抱っこをすると、やっぱり明らかに元気そうで、これは絶対ウソだ、と心の中で思っていた。
自分も仕事で疲れているし、歩けるならちゃんと歩いてほしいなあ、と呆れたり苛立ったりしていた。
子どもはなぜうそ泣きするのか
NHKの育児番組『すくすく子育て』で嘘泣きを取り上げた回で、保育施設の代表を務める柴田愛子さんがこのように話していた。
たとえ流した涙が嘘であっても、涙を流したくなる気持ちは確かに子どもの胸のうちにあるのだという。
「おなかいたい」の後ろには
これを踏まえて、子の「おなかいたい」が嘘であったとしても、「おなかいたい」と言いたくなった気持ち自体は間違いなくそこにあると仮定してみることにした。
「おなかいたい」に隠れた気持ちを想像する。
すると、すぐにひとつの結論に思い至った。
(1日の終わりで疲れて歩きたくないだけなのでは?)
そしてある日の帰り道、子どもはまた「おなかいたい」と言ってしゃがみ込んだ。
わたしは思い切って「本当にお腹が痛いの?」「本当は歩きたくないんじゃない?」と尋ねた。
子どもはじっと地面を見つめたまま黙り込む。
わたしはさらに子どもに問いかけた。
「抱っこしてほしいの?」
「うん」
「おなかいたい」の後ろにはずっと、「疲れたから抱っこしてほしい」が隠れていたようだった。
「抱っこしてほしい時は、お腹が痛いって言わないで、ちゃんと抱っこしてほしいって言ってほしい」
歩いている途中で子どもが「おなかいたい」と言うたびに、わたしは繰り返し伝えた。
もちろん、本当にお腹が痛いならそれは大変なことだから、早くおうちに帰って休んだり病院に行ったりしないといけないよ、とも話をした。
そうして数ヶ月が経った今、一緒に歩いていて「おなかいたい」と言われることはぐっと減り、代わりに「抱っこして」と率直に言われることが増えた。
「抱っこして」と言わなくなった理由
ここまで書くと単なる子どもの成長物語のようだが、そもそも子どもが「抱っこして」と素直に言わなかったのは、わたしのせいもあったと思う。
子どもに抱っこをせがまれても、子どもが元気そうに見える時に自分の疲労感を優先して「ごめん、今は無理だから歩いて」と断ることもしばしばあった。
そのせいで子どもはちょっと知恵を働かせて、「おなかいたい」と言うようになったのかもしれない。
いつでも子どもに応えてあげられるのが理想的なことはわかっている。
何をしても疲れ知らずの超人だったらそれができるのかもしれないが、ホワイトな環境とはいえフルタイム勤務で毎日疲れ切っている身にはあまりに難易度が高い。
子どもの変化が顕著に感じられたと同時に、自分の振る舞いについても考えさせられる出来事だった。
子どもも大人もただの人間
子どもとの生活は日々後悔と反省ばかりだ。
いくら気をつけていても感情的な態度を取ってしまうことはあるし、同じ後悔と反省を何度も繰り返している気がする。
せめて自分の言動によくない点があったと感じたら、なるべく早く「ごめんね」と言うように心がけている。
子どもとの関わりも結局のところ人間同士の関わりで、悪いと思ったら意地を張らずに謝るのは誰を相手にしても大事なことに変わりはないと考えているからだ。
子どももいつからか、わたしが叱ったりすると自然と自分から「ごめんね」と言うようになっていた。
似たようなシチュエーションで親の真似をしているだけかもしれないが、謝るための道具を身につけたことは大きな一歩だと思う。
ただ、すぐ「ごめんね」と言われると「なんでもごめんって言えばいいわけじゃない!」とさらに感情的に反論したくなってしまうのがちょっとした悩みでもある。
しかしその反論は自分の態度にもブーメランのように刺さりかねないので、謝られたら素直に受け入れることも大事なのだと我が身をもって子に示すために、ぐっと堪えている。