2022/10/15 秋の夜長と百物語
・やっぱり早起きしなきゃいけない日に限って寝坊をする。予定より1時間半遅く起きてからのそのそと準備をして、到着時間から逆算するとかなりギリギリな時間に出発した。
ギリギリでいつも生きていたい訳じゃない。でもどうにもならないから仕方ないのだ。
・婦人科で夫と別れる。今日は別行動の日。ちょっとホッとする。たまに1人にならないと息が詰まってしまうから。よくこんなので結婚できたなと未だに疑問である。
・人気の病院だからか、田舎故かは分からないがとにかくこのクリニックは鬼のように混んでいる。今日も待合室に人がひしめき合っていた上10人以上が立ちっぱなしで待っていたので車内待機することに。
フードコートで渡される地雷みたいな機械を受け取る。呼び出し音がちょっと不安を煽るような音色だったのでドキドキした。
・ 禁煙できてないし、ここ数日下腹部痛が酷かったこともあり、腹の中の我が子が生きてるか不安だったが、問題なく育っており元気に心臓を動かしていたので生命すげ〜と5歳児のような感想を抱く。
夫のためにエコーを動画で撮影したが、なんと2秒で画面を止められてしまいほぼ撮れなかった。
・内診台の上で股を開かされたまま、担当の女医が結構な大声で看護師に色々と確認している声が聞こえる。せめて台を下ろしてからか、私の聞こえないところでやって欲しい。「ねぇ、この人クーポン持ってきたのに出てないんだけど」なんて聞かせないでくれ。妊婦初心者にもう少しこう…優しくしてくれ…
・婦人科あるあるだと思うが、診察時に下半身剥き出しで大股を開かされている構図は本当に惨めな気持ちになる。情けなさと恥ずかしさとその他諸々が綯い交ぜになって泣きそうになる。私だけでしょうか。
ガラケーが消えCDからサブスクへ音楽業界も移行し、やれ令和だ、やれ有機ELディスプレイだ、4K画質だなんて技術が進歩しても、婦人科の診察だけは変わらないのか……と少しげんなりする。
早く子が育ってお腹にエコーを当てるだけになってほしい。
・婦人科の帰り道、自分の胎の中で他人を育てているということは自分の胎の中で他人が死ぬことと表裏一体なんだなと考えた。自分の胎内で他人の生殺与奪の権を握るのは神秘的でもありおぞましくもあるなと思った。その責任の重さに押しつぶされそうだ。
・というのも先日までは歪な雪だるまのような姿をしていたのに、今日見た我が子はしっかり雪だるまというか、人間らしさを備えていたからこそ、この考えに至ったのだろう。
ここからどんどん人間の姿になって、4Dエコーでは顔も見えてしまうんだな、産まれてからはもっと責任が重くのしかかるのだろう。怖い。
・今まで自分は「自分のために頑張れないから、子供のためになら頑張って生きられそう」と漠然と思っていたし、子供を欲していたから、妊娠に対してこの種の不安を抱く未来なんて想像できなかった。
キラキラ素敵なマタニティライフ、とまでは行かなくても幸せいっぱいなんだろうと思っていた。しかし、現実はそう簡単では無いらしい。人を生み出すというのはこんな恐怖を乗り越えなければならないのか……
世の先輩ママ達には頭が下がりっぱなしである。
・胎教にはまだ早いが、もう少ししたら絵本の読み聞かせだったりクラシック音楽を聴かせるべきなんだろう。諸先輩方や、私の母がそうしていたように。
・しかし今のところ私は百物語ばかり聴いている。何なら、百物語をBGMに寝ている。そしてWikipediaで死刑囚の項目を貪るように読んでいる。
心霊現象・現実の犯罪問わず、私は怖い話が好きなのだ。心霊現象は趣味として、犯罪は防犯への知見を高めるために日頃から収集している。
まだまだ母にはなれないようだ。
・今日は1日子のことばかりで終わってしまった。
日記もその話でいっぱいだ。でもそれ以外に話すことがない。
・ので、今日はこれで締めようと思う。
妊娠のせいか、不眠症が再発したのか、はたまた夜が長くなったせいか、中途覚醒が増えてしまった。
今日もきっと百物語を聴きながら寝るのだろう。持て余した夜にはこれくらいが丁度いいのだ。
・おしまい