2024年上半期を振り返って…
今日で2024年の上半期が終わろうとしている。
私自身にとっては激動の上半期だった。
中でも1月2日に行った道の駅箱根峠や、
3月6日に人生初めて救急車で搬送され
地元の海老名総合病院へ緊急入院、
東日本大震災から13年の3月11日の出来事、
そして、3月16日に退院してから2日後の
18日に行ったイオンモール座間の思い出が
印象に残った。
まずは1月2日の出来事を。
始発の相鉄線で朝早く箱根駅伝を見に…ではなく、道の駅箱根峠へ。
私自身がいつも見ているtvk(テレビ神奈川)の『猫ひた』こと『猫のひたいほどワイド』に猫の手も借り隊の水曜イエローとして出演された、俳優の早瀬圭人さんが道の駅箱根峠へお手伝いで来られるという事で、昨年11月3日に圭人さんが地元のビナウォークのイベントで伝統芸能の獅子舞を披露してくれたお礼も兼ねて応援しに行った。
私が道の駅箱根峠へ到着した時点ではまだ圭人さんは来ていなかった。
11時過ぎ、中で座って休んでいたら圭人さんが現れて私の緊張は一気に高まった。
ちょうどお腹が空いていた事もあり、函嶺白百合学園の高校生と道の駅箱根峠でコラボした『色彩カレー』を食べて緊張をほぐす事に。
いざ、私が食べ始めたら…猫ひたの撮影が始まった。
逆に緊張が高まってしまった。
食べながら実際に撮影風景を見る…何だか不思議な気分だ。
私が食べ終えて、お水をおかわりしに行ったら1人挟んで後ろには圭人さんが並んでいた。
その時の私はすごく緊張していた。
その後、猫ひたのスタッフさんや函嶺白百合学園の皆さんとお話していくうちに私の緊張はほぐれていった。
お手伝いから戻ると、フォロワーさんが圭人さんと一緒に写真を撮っていた。
『これはチャンスだ!』と私も一緒に圭人さんと写真を撮らせてもらった。
昨年11月3日に海老名ビナウォーク校文化祭で圭人さんの伝統芸能の獅子舞披露を観に行って、『地元に来てくれてありがとうございます』とお礼をしたところ…
『僕、あの時1人で心細かった…』とまさかの本音(?)が出て驚いた。
昨年末に圭人さんが2019年の相鉄都心直通記念ムービーに出演されている事を初めて知りお話してみたら、『思い入れがあるので嬉しいです!』と喜んでくれた。
14時近くになり…バスや電車の時間の関係があった私は、外で呼び込みしていた圭人さんや函嶺白百合学園の高校生達のところへ。
年末に体調を崩して、回復したばかりの圭人さんに『身体、大事にしてくださいね…!』と挨拶すると…
何と圭人さんから『今日は朝早くから来てくれてありがとうございました』と言ってくれただけでなく、握手までしてくれた。
とても優しくて良い方だった。
応援するきっかけになった瞬間だった。
その時の潜入リポートが、阪神・淡路大震災から29年の1月17日に放送された。
胸がギュッとなったのと同時に、13時18分頃に何と私が猫ひたに初めて送ったメッセージが読まれた。
実はこの放送の2日後の1月19日は圭人さんの26歳の誕生日だった。
1月11日が誕生日だった亡き父とは8日違い、私とは干支は同じで1回り下の1998年生まれだった。
この日から約2ヶ月後の3月6日…
私は人生で初めて、救急車で病院に運ばれた。
歩くのもままならず、息苦しさにも耐えられず…
母に救急車を呼んでもらって地元の総合病院で救命病棟の先生に診たところ…
『糖尿病の重症です』と…
(後日、母から知りました)
6日の夕方に運ばれてから4〜5時間後の21時頃に目が覚めた。
何があったか覚えておらず、スマホも自宅に置いてしまったため日付や時間の感覚を忘れてしまっていた。
どうやらせん妄を起こしていたらしい…
その日の夜中、2回ほど嘔吐してしまった。
翌日の7日の朝、救命病棟の先生達が私のところに来た。
『糖尿病性ケトアシドーシスを起こし、血糖値が高くみられたため、ここからは糖尿病内科の先生にバトンタッチします』と言われた。
数時間後、主治医となる糖尿病内科の先生が私のところに来た。
『現時点では年齢的な事もあり、1型か2型か調べています。今日の夕方から食事が出ます。食べれなくてもいいので。来週土曜日(3月16日)の退院を目標にがんばりましょう』と言われ驚いた。
糖尿病には1型と2型がある事を初めて知ったのと同時に1ヶ月くらい長く入院すると思い込んだからだ。
その日の夕方、初めて病院食が出たが…
前日の嘔吐があり、ほんのちょっとしか食べれなかった。
しかし、8日の朝食からはおかずを完食できるようになった。
病院食がこんなに美味しいのと同時に、食べれるようになった喜びを久しぶりに味わえて嬉しかった。
9日は首につけていた点滴や尿の管が外れた事もあり、先生から歩いてもいいという許可が下りたので久しぶりに歩こうとしたら…
バランス感覚を忘れてしまったのかよろけそうになった。
実は入院してからこの日までオムツをしていた。
面会に来た母に下着を持ってきてもらい、それに着替えた。
スマホも持ってきてくれたので、ようやくSNSで私が入院した事を投稿した。
たくさんコメントをくれて有難く、感謝している。
10日から朝食後と昼食後、救命病棟を3周ほど歩く事にした。
11日。
この日は東日本大震災から13年の月日。
お昼近く、主治医の先生が私のところにやってきた。
『1型糖尿病です』
ハッキリと病名を告げられた。
私自身は正直『えっ⁉︎』と驚いた。
何故なら身内に2型糖尿病になっている伯父がいるからだ。
私の場合は腎臓からインスリンが機能しない…
稀で特殊な方だった。
食事前には必ずインスリン(ノボラピッドとトレシーバ)を打たなければならなくなった。
『どんなに具合が悪くても、トレシーバだけは絶対に打ってください』と先生に強く言われた事は覚えている。
病名が判ったところで、急遽一般病棟へ移る事が決まった。
一般病棟へ移動中、看護師と一緒に入院受付へ寄りオムツなしの料金プランへ変更したのと同時にWi-Fiと冷蔵庫、テレビを使える契約を申し込んだ。
そして、私が移った病室は…
何と311号室だった…
運命的なのかそれとも偶然なのか…未だにわからなかった。
一般病棟へ移った直後にCTがあったため、病棟アシスタントと一緒に検査の受付へ。
CTを終えて病室へ戻ってしばらくすると、遅めの昼食が出てきた。
渡してくれた病棟アシスタントに東北の訛りが出ていて、とても懐かしく感じた。
後で聞いてみたところ、福島県出身の方だった。
そして14時46分…黙祷。
東日本大震災の日に病名が1型糖尿病だと判った事、一般病棟に移って病室が311号室だった事、ここで黙祷した事…
忘れられない1日になった。
一般病棟へ移って、看護師に見守られながら…
食事の直前にはインスリンを打ったり、血糖測定の練習をした。
5日後の3月16日。
先生の言う通り、この日に退院となった。
バタバタして時間がかかってしまったけれど、病院から駅までシャトルバスに乗り、駅から相鉄線に乗って無事に自宅に到着した。
久しぶり過ぎて、自宅に帰ってきたという感覚を掴むのに時間がかかった。
2日後の3月18日。
お昼ご飯を食べてから、外出の練習も兼ねて1人で路線バスに乗ってイオンモール座間へ。
実は…
圭人さんが県立座間総合高校書道部の皆さんと伝統芸能である書道パフォーマンスをイオンモール座間のノースコートで披露するという事で応援しに行こうと前から決めていたのだ。
入院した時は行けないと思っていたが、退院して2日後に行けるとは思わなくて正直驚いた。
イオンモール座間に到着し、会場であるノースコートへ。
実はこのノースコート、4年前に『ゆめちゃんとざまりんの子どもぼうさい教室』というイベントがあって行った思い出の場所でもあったので懐かしく感じた。
そのイベントについてはこちらのnoteに詳しく記載されているのでURLを貼っておく。
話は戻るが書道パフォーマンスをどう披露するのか位置さえも全く把握しておらず、ほぼ右側に立っていて見ていると何と真向かいには…圭人さんが立っていて驚いた。
そして、書道パフォーマンスが始まった。
力強く書く圭人さんの姿を間近で見れて、思わず泣いてしまった。
パフォーマンスを終わった後は、2階の工事中のスペースに移動してツーショット撮影を。
『入院中に猫ひたで圭人さんの顔晴りを見て、すごく励みになりました』と直接お礼を言う事ができた。
写真を撮り終えた後、フードコートで夜ご飯を。
先にお手洗いでインスリンを打てたので、あとはすぐに食べれるよう準備しておいた。
久しぶりに長崎ちゃんぽんを食べたが、病院食の味というか薄味に慣れたせいか、思いの外濃くてビックリした…
そして、イオンモール座間を後にしてバスで最寄り駅へ。
無事に自宅に到着できた。
ちなみに書道パフォーマンスのロケは3月27日に放送され、この日を以って圭人さんは猫ひたを卒業した。
長くなってしまったが、私にとってはとても忘れられない今年の上半期の思い出だった。