見出し画像

1月27日〜31日の『おはよう定食/一直線』を聴いて…

ウェブでこの見出しがあった。

27日を最後に降板となった生島ヒロシさん、
その翌日の28日に
逝去された森永卓郎さん最後の出演…

この日仕事だった私は、
朝ごはんを食べながら
『おはよう定食/一直線』を聴くのが
日課となっていて
リアルタイムで生島さんと森永さんのやりとりも
耳にしていた。
この日の森永さんの声は弱々しく、本人からは…

「先週の放送が終わったあと
ぐらいから容体が急変して。
どうも……
本格的な転移が始まったようで、右の脇腹のところに一気に痛みが出てきたんですね」と
コメントしていた。

もう長くは保たないのかな…と心配になった。

仕事を終え帰宅し母から直接、
生島さんがラジオ番組を降板した事を初めて知った。

この日の私はネットニュースやSNSを
見る余裕さえなかったので、
母に言われるまで全然知らなかった。

そして28日の夜10時近く、
いつものように寝たものの…

日付が変わって29日になった時に
亡き父が夢に出てきて驚き、
ふと目が覚めてスマホでYahoo!ニュースを開いたら…

森永卓郎さんが天国に旅立たれたという
記事を目にして、驚きを隠せなかった。
27日の『おはよう定食/一直線』で耳にしたのが
最後になるとは…想像もつかなかった。

実は生前の父は
よくTBSの『がっちりマンデー!!』を見ていて、
森永さんを絶賛していた。

がっちりマンデー!!の公式ホームページに
スタッフ一同から森永さんへの
メッセージが掲載されていた。

『おはよう定食/一直線』に電話出演された
森永さんの解説はわかりやすかった。
正直寂しさもあるが、天国でゆっくり休んで欲しい。

生島さんは自分がやってしまった事を
しっかりと向き合い、深く反省して欲しい…


生島さんが降板し、28日と29日は
フリーアナウンサーの片桐千晶さん、
30日は元日本テレビアナウンサーの魚住りえさん、
31日は元日本テレビアナウンサーの馬場典子さんが担当した。

実は…
片桐千晶さんを、今更ながら初めて知った。
28日と29日に聴いた時、とても分かりやすかった。

魚住さんと馬場さんはもちろん知っていた。
お2人も分かりやすかった。


生島さんには申し訳ないが…
余計な一言が本当に多過ぎる。

特に占いのコーナーを聴くと…
自分の生まれ月(8月)の運勢を早く知りたいのに、
息子さんである次男の翔さんの生まれ月(7月)の
運勢の時にトークが余計に長くて
遅くなる事が時々あった。

翔さんに非はありません、悪しからず…

もう一つ…
生島さんは『アジャパー』と
発言を連発していたが
私には『?』だった。

『アジャパー』を検索して調べてみると…
昭和時代に流行したギャグだった。

昭和56年に亡くなった伴淳三郎さん。昭和20年代にアジャ・パーが流行語となり一世を風び。味のある山形弁と独特の存在感で愛された。

NHKアーカイブス 伴淳三郎さんのページより


リスナーが生島さんと同世代の方が多く、
昭和時代のギャグももちろん通じたりするだろう。

しかし、私を含めた昭和ギリギリ生まれの方達や
平成生まれの方達が聴いているかもしれない。
私自身、古いギャグを耳にして
引いてしまう事も多々あった。

生島さんが降板してから聴いた
28日〜31日の『おはよう定食/一直線』は
正直、わかりやすかった。

いいなと思ったら応援しよう!