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PROFILE①

初めまして。
オーダーメイドの花屋RICCAを営む大脇 勇人です。
現在は神戸の自宅兼アトリエで活動している為、店舗はありません。

RICCAでは一般的な花屋さんのように店頭でフローリストと花を選び、持ち帰る或いは注文する形ではなく、まずはどのような方にどういった背景で花を贈りたいのかをゆっくりお聴きした上で花束をおつくりします。その上でお聴きした内容と伝えたい言葉を遂語録にしたものを手紙に纏め、花束と併せて贈るという少し変わった花屋です。

なぜそんな手間も時間もかかる方法をとっているのか。
その理由をnoteでお話しできたらと思います。

私は花屋だけを経験してきたわけではありません。
新卒で冠婚葬祭のフラワーコーディネーターに就職したものの、勤務したのは2年程。転職先は宝飾品ブランドでジュエリーの販売やマネジメントを8年半経験し、その後はNPO法人の障害福祉事業所に入職するというかなり変わった経歴の持ち主だと思っています。

一見すると繋がりのないキャリアですが、このキャリア故に今のオーダーメイドの花屋の形になった事が少しでも伝われば良いなと思い、ここに書く事にしました。

そんな私ですが元々なぜ花に興味を持ったのか。

地元は島根県隠岐島海士町。最近だと地方活性化のワードでよく聞く町ですが、私の学生時代はまだまだそんな風が吹く前であまり注目を浴びるような場所ではなく、静かな島でした。
島と聞くと南国感があり、開放的な気質をイメージしますが、日本海に位置する島の為、曇り空が多く深い海の色をしており、ワントーン低い色の景色が広がっています。幼い頃から自然しかないような環境だった事もあり、植物の存在は改めて意識するほどでもなく、常にそばにあるものでした。買うものだなんてイメージも全くなかったです。

大学へ進学するに辺り、美術デザインの学部に進学しました。あまりやりたい事がなかったというのもありますが、絵を描く事、ものを創ることだけには関心がありました。その中でも進学してからは特に「装飾」に興味を持ちます。それこそ今まで身近にあった植物が装飾される用途として使われる事で芸術に昇華され、飾られた空間が非日常的な空間となる。そこに大きく惹かれました。幼い頃から身近にあった植物たちと何が違うのかとも考えるようになります。西洋と東洋の文化や宗教の違い、また芸術と無意識の関係性など学び、より一層興味を持ったのでした。


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かくして私は花屋、それも空間装飾によって非日常を創り出す冠婚葬祭の仕事に就くことに。

実際の仕事はハードワークでしたが、やはり創る事の楽しさはイメージ通りでした。また、楽しさの中に含まれる要素として顧客との対話があり、その点に関しては自分自身に対する意外な発見でした。

今考えてみればですが、無形である対話に惹かれるのは意外でもあり、一方で対話によって形作られるオーダーメイドの空間装飾という点に置いて関心を持つというは必然な事のようにも思います。

そして私は、有形物を自らが創り上げるのではなく、元々形あるものをいかに対話によって価値を見出せるかに重点を置いたジュエリーの販売職へ仕事を移します。

しかし、そこでは大きな壁を感じました。今までは、いかに顧客の思い描く装飾を創るかに主眼を置いた対話が成されていましたが、既存に存在する商品とのマッチングを意識した対話では、ある意味では逃げ場がなく、また商品が目の前に存在する事で抽象的なイメージからスペック(形状や品質)に落とし込むという作業が出来ず、大いに苦戦したのを覚えています。

やはりモノが目の前にあると、イメージの先にある結果(スペック)の話題になりがちで、その前にある想いやイメージを口にしてもらうという事の難しさを痛感しました。

より、深く「聴く」事が求められたのです。

そこから私は「聴く」に重きを置いた対話を追及しました。
聴くことを大切にすると、不思議と目の前の商品から離れたところの会話の内容となりました。モノの形状や品質うんぬんというより、なぜそのニーズを大切にしたいのか、贈りたいと思った経緯や過去から形成される価値観について等、モノからヒト、コトについての会話が中心となっていくのです。


ジュエリーの面白い点は実用性が無い所です。いわゆる「役に立つ」という側面が削ぎ落とされているが故、より感情的な面で購入の動機が出来上がっている品だと思います。お客様は初対面の販売員に対して、自身の想いをいきなり話してくれるわけではありません。その分丁寧に丁寧に対話を積み重ねていくのです。
話を聴く内に断片的だった情報がつながり、一つの物語が浮き上がってくる感覚は、自身が表現者になる事と同様に満たされる感覚に包まれました。

また、お客様の話を聴いていると、意図するにしろしないにしろ、購買する「意味」を探しているように思いました。宝飾品と自分自身との結びつきを探している方がほとんどで、モノとヒトが繋がる「コト」を創るのが聴き手の役割だと自負するようになります。

その頃から、「聴く」という行為は技芸であると感じ始めたのです。

そしてその技芸を用いて、自分自身が形作る端の部分から携わりたいとやはり感じてしまいます。手を動かし、自分自身も何かを生み出したいという欲求は相変わらず残っていたようです。

その後、マネジメントを行う管理職となり、障害福祉へ入職します。
なぜそのような経緯を辿ったのか。
後編に綴る事とします。

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